ビジネス書には(たぶん)載っていないスタートアップ売却のTips
北米のスタートアップのイグジットの8-9割がM&Aであることはよく知られていますが、最近は日本でもM&Aを通じたスタートアップの事業成長や新陳代謝の意義等が議論される機会が増えてきました。
私(朝倉)は、自分が代表を務めたスタートアップの売却を(なぜか同じ会社で2回)経験しており、売却先であるミクシィでは買い手の立場でスタートアップの買収を実施しています。
また独立社外取締役を務めたスタートアップでは大企業への売却プロセスに立ち会ったこともあります。
こうした経験を踏まえつつ売り手と買い手の双方の視点から、スタートアップ経営者が自社を売却しようとするにあたって気をつけるべきポイントをいくつか挙げようと思います。
設立当初から売却を意識してスタートアップを始める起業家はおそらく少数派だと思いますが、多少なりともご参考になれば幸いです。
バリュエーションを上げすぎない
国内企業への売却を狙う場合、バリュエーションが一定水準を超えると一気に買い手候補が減ります。スタートアップの買収者の多くはスタートアップ出自の企業ですが、そうした企業の懐事情を考えると、自ずと企業買収のサイズ感は限定されます。
報道によれば2021年の米Paypal HolidingsによるPaidyの買収額は約3,000億円とのことですが、このような海外事業者による巨額買収はレアケースと捉えておいた方がよいでしょう。
バリュエーションを上げすぎないためには、資金調達できる回数や調達額はおのずから限られてきます。
売却のニーズが出る前から買い手候補と接点を持っておく
投資家が初めて会うスタートアップに対して出資をするのにはハードルがあります。ましてや100%買収ともなれば、ますます難易度は高くなります。IPOを目指していたものの、資金繰りが行き詰まったからといって急に売却を試みても、なかなか思うように売却は進みません。
具体的な買収提案の話を持ち出す以前から、予め買収候補者が自社への理解を深められるような接点を持っておきたいもの。できることなら事業面での連携が進んでいることが理想です。
IPOが前提であったとしても、M&Aの余地を残しておきたいのであれば、予め買収候補者との接点を持っておくべきでしょう。
事業シナジー創出を目論む会社を株主に入れすぎない
前の事項に反するようですが、事業連携を目的とした事業会社が株主に入っていると、他社への売却話が浮上した際に難色を示されかねません。スタートアップに出資する事業会社の中には、将来的に100%買収する可能性も見越しているケースも少なくありません。既に事業連携が進んでいる場合であれば、売却によってそうした連携がどうなるのかについて、懸念を抱かれることになるでしょう。
ましてや買収候補者が既存株主の競合である場合、売却に向けたコミュニケーションはより一層困難になります。
シナジー創出がイメージしやすい事業を選ぶ
買収候補者にとって、既に構築している顧客基盤に対して一気に拡販できるプロダクトなど、シナジー創出がイメージしやすい事業を予め狙うことが重要です。買収の起案者が社内外に向けて説明しやすい事業であるかどうかが、売却プロセスをスムーズに進めるうえでは重要です。
赤字幅は小さく留める
特に買収候補者が上場企業の場合、赤字企業の時点で買収の検討対象にすらならないケースもあります。できることなら事業を黒字化しておくことが理想です。
1点目の「バリュエーションを上げすぎない」と併せて考えると、調達が少額で済み、なおかつ黒字化しやすいという条件を満たす事業は、自ずとセクターや内容が限られてくることがおわかりになると思います。
売上づくりのための受託に奔らない
基本的にコアとなるプロダクト以外から発生する収益は、買い手から見て評価の対象にはなりません。往々にしてスタートアップの買収者は、買収候補の事業が自社に組み入れられることでどれだけスケールするかに興味を持っています。設立初期の受託は売上成長が滞ることでかえってマイナス評価されかねません。
受託事業のその後の保守などの手間を考えても、買い手にとってはワンプロダクトを提供するスタートアップの方が望ましいものです。
キーパーソンの離反を防ぐ
アクハイヤの要素を含んだ買収の場合、キーパーソンの離反は大きなマイナス点になります。買収額にも影響しますし、買収の話そのものが立ち消えになりかねません。
インサイダー情報にもなりかねないため、売却の話は社内のメンバーに対してもおおっぴらに触れることはできませんが、それでも特定のキーパーソンに対しては個別にしっかり話しておくことが重要です。
売却後にどのような機会があるのか、どのような期待を当人に寄せているのか、どのようなインセンティブが提示できるのかを伝え、売却後も継続して事業に取り組でもらえるような環境づくりを心がけましょう。
信頼できる人をアドバイザーに加える
スタートアップの売却プロセスには、株主(主にVC)主導で進めるケースと経営者主導で進めるケースがあります。特に後者の場合、実際の売却経験を持つ人物等に助言を仰ぐことをお勧めします。単に売却条件の交渉だけでなく、利害関係者の調整や社内メンバーといった交渉外での対応についても、経験者のリアルな知見は役立つことでしょう。
注意すべきは、既存株主であるVCがこうしたアドバイザーとして適任とは限らないということです。インセンティブ構造次第で、既存株主にとって売却が望ましいとは限りません。
また買収候補者には嫌がられるかもしれませんが、FAを起用するのもひとつの方法です。
買収担当者の反感を買わないような言動を心がける
買収プロセスで実務を進める買収の起案者や現場社員、また買収側の経営者は、自社を売却したスタートアップ経営者がいくらのキャッシュを手に入れるのかを間違いなく見ています。
仕事である以上、買収側の担当者は粛々とプロセスを進めることでしょうが、人間性を好ましく感じることのできないスタートアップ経営者が大金を手にすると思えば、どうしても買収プロセスに前向きになれないのが人情というものです。人間だもの。変な感情のもつれが買収プロセスの妨げにならぬよう、立ち居振る舞いに注意しましょう。
交渉である以上、主張すべき点は主張する必要がありますが、できればバッドコップの役割は他の人が担うのが理想です。
既存株主の利害を調整する
同じ売却案件でも、出資時の契約条件によってリターンを得られる株主もいれば、損失を抱える株主もいることでしょう。
また、経済的なリターン以外の要素を狙って出資している株主もいるかもしれません。
各株主のインセンティブを理解し、それぞれの株主にどのような影響が生じるのかを把握したうえで、売却の合理性やメリットを丁寧に説明するよう心がけましょう。投資契約の内容次第では、思わぬ株主が拒否権を持っている可能性もあります。
IPOを目標として社内に浸透させない
社内に向けて「IPOを目指す」というメッセージを伝え続けていると、M&Aによるイグジットが事業の失敗として受け止められ、士気に影響しかねません。
売却後も社員のモチベーションが損なわれぬよう、IPOを軸にした社内コミュニケーションは控えるに越したことはありません。
IPOを前提にしている場合であったとしても、IPOの時期等は自社でコントロールしきれないことを思うと、IPOを目標として掲げることはお勧めしません。
番外編:売却後の注意点
売却後も引き続き事業に携わるのであれば、たとえまとまったお金を手に入れたとしても、わかりやすく高価なものを身につけないこと。ギラつかないこと。会社の売却によって経営者が得る経済的なメリットと社員のそれとでは大きな乖離があります。経営者が浮き足立っているように映ると、社員の士気も下がってしまいます。
浮かれる気持ちはぐっと抑えて、統合が落ち着くまで一呼吸置いてください。よくわからない投資話に乗らないこと。会社の売却を通じてまとまったお金を手に入れると、どこからともなく得体の知れない人たちが儲け話を持ち寄ってきます。お金絡みの話で寄り付く人間は基本的に信用しないこと。謎の投資話で売却益の大半を失った人もいます。
他にも注意するべき点は多々ありますが、スタートアップ売却に関する留意点をひとまず思いつくまま挙げてみました。
スタートアップに関して流布する情報の多くは、基本的にIPOを前提にした内容です。
特にIPOに最適化した資本政策を設計すると、M&A路線への転向は困難になります。
一方で、社会に大きなインパクトを及ぼすスケールする事業づくりを目指す起業家にとって、売却の可能性を残すために赤字幅を小さく留めたり、事業会社とのシナジーがイメージしやすい事業を選択したりすることは、あまり本質的とは言えません。
M&Aの可能性を残すことを意識しすぎるがあまり、本来やりたかった事業に振り切れないのでは本末転倒です。
大切なのはなぜ事業を行うのか、事業を通じて自身が何を実現したいか。
自身が事業を立ち上げる理由、原点を大事にすることを大前提にしたうえで、以上に挙げた点をご参考にしていただければ幸いです。
イベントのお知らせ
スタートアップの売却に関するTipsを列挙しましたが、関連して3/5にアニマルスピリッツの出資先であるバトンズ主催でスタートアップの企業売却に関連するイベントが開催されます。
当日はXTech西條さん、DIMENSION宮宗さんとご一緒する予定です。
VCの観点からスタートアップ売却の捉え方について、生々しい話が聞けるのではないでしょうか。
ご興味のあるスタートアップ経営者の方は以下からご登録ください。
米国のスタートアップの9割はIPOではなくM&Aでの売却を選択するのに対し、日本のスタートアップではわずか3割しかM&AによるEXITが行われていません。何故日本のスタートアップはM&Aを行わないのか、スタートアップM&Aを増やすためには?などの裏側を著名VCの方々にお話しいただきます。
①各社事業紹介
・アニマルスピリッツ|代表パートナー 朝倉 祐介氏
・XTech Ventures|代表パートナー 西條 晋一 氏
・DIMENSION| 代表取締役社長 宮宗 孝光氏
・バトンズ| 代表取締役 神瀬悠一
②トークセッション
・日本のスタートアップにおけるM&A EXITが増えない背景
・なぜ日本は米国と比べてM&A EXITが少ないのか?
・資金の供給拡大とセカンダリー取引の円滑化
・どうしたらM&A EXITが増えると思うか?
③質疑応答
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