〇〇の多い生涯を送ってきました。
太宰治の『人間失格』と『桜桃』を読んだ。
こと『人間失格』に関しては過去に2回読んでいるはずだが、10年以上も前(で読書が苦手かつ興味もなかった頃)のことなので内容はほぼ記憶になかった。太宰治が38歳で亡くなったことを知ったのも初めてだった。
以下、二段落は簡単なあらすじ。
『人間失格』の主人公大庭葉蔵は、幼い頃から親兄弟を含む他者に対し道化を演じていた。性的虐待を受けても誰にも言わず、父親の顔色ばかりを伺っていた。親元を離れて通う学校で初めて道化を見破られるが、唯一見破られたその同級生とは後に仲良くなり、初めて素の自分の黒い部分を見せることができるようになる。
進学で東京に行き悪友と親交を深めると、酒煙草風俗マルクス主義をひと通り学んだ。酒と女に溺れ、人妻と入水自殺を試みるも一人だけ生き残ってしまう。複数の女性の手助けのおかげで漫画家として働くようになり純朴な女性を嫁に迎えたが、人を疑うことを全く知らなかった妻の不貞行為(妻に非はない)を偶然目の当たりにし、止めるでもなく上階で号泣する。自分の弱さと妻の自分を恐れる態度に居心地が悪くなり、アルコール依存症になる。睡眠薬を大量摂取するも死にきれない。その後喀血し、モルヒネ中毒になり、家族に脳病院へ入院させられる。そこで「人間失格」を確信する。
『人間失格』の主人公と筆者である太宰治の生涯は重なるところが多いらしい。有名な一節である「恥の多い生涯を送ってきました。」は太宰自身の38年間の感想なのだろうと思わずにはいられない。
※なお、この一節はBURNOUT SYNDROMESの『文學少女』という楽曲にも登場するので、ぜひ聴いてほしい。これを伝えたくてこのnoteを書いた。以降の文章は正直、蛇足である。
太宰治は芥川龍之介が好きだったそうだ。太宰治のWikipediaを開くと「影響を受けた人物」の一番上に芥川龍之介が載っている。残念な共通点だが、芥川龍之介も35歳という短命で亡くなった。
参考までに、現代の弊社で特に地方勤務だと35歳はギリギリ主任になるレベルである。(昔はもっと早かったらしいが、今は上がつかえているので若手の昇進は遅れている。地方ならでは?のとてもやるせない話だ。)
さらに今は「65歳定年制」が幅を利かせている時代。
そう考えなくとも、二人は至極短期間に後世に残る偉大な作品を大量に送り出し、そそくさと居なくなってしまった人達だ。美人薄命の男性版だとこうなるのだろうか。ぱっと咲いてすぐに散る、桜のような人生だ。
ちなみに、太宰治の命日は、生前最後に書き終えた小説『桜桃』にちなんで「桜桃忌」とも呼ばれるとWikipediaにあった。とてもキレイで素敵な呼び名だなと思った。(芥川龍之介は同様に「河童忌」とされている。なかなかに風流である。関係はないが、私はきゅうりが野菜の中で一番好きだ。)
桜桃とは「さくらんぼ」のことである。(知ってた?)
小説『桜桃』は夫婦喧嘩を描いた短編小説。小説内に桜桃がフルーツとして出てくるので、単純にそこから名付けたのかと思っていたが、さくらんぼといえば2つで1つの果物というイメージも強い。夫婦から桜桃を連想し、そこから小説内にも登場させたという思考回路であったとしてもすっきりと腑に落ちる。
さて、折角なので『人間失格』についてもう少しだけ。
「人間失格」という言葉はインパクトもあり面白い。人間として存在するには資格が要るという前提である。そして『人間失格』の主人公はその資格を、脳病院への入院で決定的に剥奪され失格となった。
私は果たして「人間合格(not人間失格)」なのだろうか。
酒煙草風俗マルクス主義には浸かっていない。自殺未遂もない。(独り身なので)不貞行為をしてもされてもいない。モルヒネは今の時代、簡単に手に入るものではないし、医師の処方以外で薬を服用する気はさらさらない。ないない尽くしである。マグロ尽くしが食べたい。サーモンも有りだなぁ。
……とまぁ、何もない。何もしていないのである。ビビるほどに何も。
まるで人間の試験を受けていないくらい何もしていない。受験のための願書送付すらしていないような気がする。もし死ぬとしたら「何の多い生涯」と言えばいいのだろうか。「無」の多い生涯?むしろ「虚数」?愛のある数字っていうしね。それも有りか。虚数だから無いんだけど。
オチもね、無いんだよ。
途中で言ったじゃん。蛇足だって。
人生なんて全部、蛇足で娯楽で趣味で無駄であってほしい、なんて我が儘。
遊んで歌って生きていきたいね。
おやすみなさい。