【仕事・アジャイル】リアクティブとプロアクティブ
今の時代に合うのは、待ちの姿勢か?自分から取りに行く姿勢か?
変化が多い時代は「リアクティブ」の方が良い?
以前から書いているように、私は社内のDX(デジタルトランスフォーメーション)に関わっており、その中でもこの変化に富む時代にどのように企業として価値創造をしていくかについて取り組んでいます。
変化に富む時代だからこそ、正解のない中で探索と検証を行い、間違いながらも学びを得て「分かること」を増やし続けて前に進むしかありません。
よって、この学びを増やすためには「仕掛け続ける」しかないので、私としては自分のやりたいこと、やるべきことどちらも自分から仕掛けに行く姿勢で取り組んでいました。それが自分の価値観だと思っています。
ただ、私とは違う姿勢や考え方の人もいます。
(以下、言い回しは変えていますが、同義のことを言われました)
「むしろ、変化の多い時代、誰も正解が分からないし、上層部や上司も分かってない中、朝令暮改的に色々指示が来てしまうなら、むしろ『待ち』の姿勢が良い。指示を受けて、それにリアクティブ(Reactive:受動的)に動けば、少なくとも責任は果たしている」
私はこの考え方に違和感を強く感じました。
リアクティブ = アダプティブではない
加えて、この人はこのように言いました。
「リアクティブでアダプティブ(adaptive:適応的)に対応しよう!」
これでより一層、違和感が強まりました。
まるで受動的に対応することが、世の中や会社の流れに適応できるかのような言い方です。
まず違和感の大きな点が、この人が言っているアダプティブは「会社の指示に対して」の視点であること。結局は上司や上層部から「言われた」ことを「受け身で」やろうとしている姿勢な点です。
つまり、世の中に適応しているのではなく、上司や上層部の考えに適応しているのです。
確かにこの姿勢は、一つの会社という村社会の中での生き方としては正解かもしれません。変化に富む時代で正解が無い中、自分から提案したことの失敗率もそれなりに高いことを考えれば、上司や上層部の指示どおりやっておけば、仮に失敗しても「指示通りやりましたよ」と言えば、強く非難もされず、文句は言われません。
しかし、私からすれば待ちの姿勢より、自分から仕掛けに行く姿勢、つまりプロアクティブ(Proactive:先見的・積極的)な姿勢の方がアダプティブだという考えがあります。
特に仕事においてはアジャイルな動き方に価値を感じている自分としては、アジャイルで大事な探索と適応の、まさに適応の部分がアダプティブであり、アジャイルの動き方はリアクティブというより、プロアクティブだからです。
プロアクティブだからアダプティブである!
アジャイルでは自分たちが自律的に動くことが大事です。
何をやるべきか・何が必要かを見える化し、優先度と担当をチームの対話の中で決めて、ちゃんとチェックして求めている成果に繋がっているのか・何がもっとよくできるのかを話し合う動きがあります。
見える化の動き自体も適応ですし、ふりかえり・むきなおりで改善点を見いだして次の活動に繋げていく流れも適応と言えます。
これら全て自分たちで決めて、自分たちのリズムで進めていくという、「仕掛けてく」スタイルになります。つまりプロアクティブなわけです。
そして「あえてやらない」「いまやることではない」と留保する動きも、「待ちの姿勢」ではなく「先見的な動きから、今はやらない・待つと自ら決める」というプロアクティブな動き方になります。
仕事の仕方については、起点がどこにあるか?が大事だと感じています。
確かに流れ的に待った方が良い状況もありますが、それが上司や上層部の顔色と自分の責任逃れのための「受け身」の姿勢ではなく、ちゃんとした考えやロジック、方針や戦略があってこそ、待つと決めるという「積極的な攻め」の姿勢であることが大事だと考えます。
プロアクティブなリーダーシップだからこそ、チームや組織のミッションも明確になりますし、士気も高まります。自らが変えていけるというコントローラブルな部分を見つけ出すにもプロアクティブに動くしかありません。
待つ姿勢ばかりになればなるほど、自分のコントローラブルな部分は無くなっていきます。コントローラブルな部分がなくなると言うことは選択肢が減ります。
そんなチームや組織での仕事はやりがいや楽しさはあるでしょうか?
アジャイルで、プロアクティブに、アダプティブに。
今の時代はこのような姿勢で仕事をすることが、良いチームや組織を創り上げ、成果も出せるようになると私は考えています。