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ルー・リードの最期のインタビュー - 7分間で思い出した、大切なもの

このルー・リードのたった7分間のインタビューに、私は感動して、今深夜にも関わらず、パソコンに向かってnoteを書いている。どこかに現代人が忘れてきた何かを、その大切なものを、彼はわかっている。

それを、ここに書いてみたい。

Lou Reed(ルー・リード)... 世界的なバンドである、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのギター・ボーカル。1942年生まれ、2013年10月27日没。アメリカニューヨーク州ブルックリン出身。(出典:Wikipedia

"僕は練習しないよ、毎日練習しない"

働いていると、人は「急げ」と言われることが多い。(特に日本人はそうだろうか。)社会人の数年間を経て、私には「焦り癖」がついてしまった。彼の言葉は、それを治してくれそうである。

Q:独学でギターを学んだのですか?
A:そう。ロックっていうのは、3つのコードしかいらないんだよ。ラッキーだね。簡単なんだ。
Q:ギターを毎日練習したんですか?
A:いや。私は練習しないよ。毎日練習しない。(音楽を学ぶための)学校には行ってない。心で演奏する。ギターとアンプと一緒に寝ていたよ。

彼は、毎日"練習"しないし、そもそも"練習"すらしないと言う。

私は、自分が何事も「練習しようとしすぎている(やろうとしすぎている)」と感じることがある。それは、日本の学校教育で培われた詰め込み型の教育(Cram)のせいだろうか。とにかく早く覚えようとする、とにかく早くできるようになろうとしていることがある。すると「毎日やらなければ」と自分に"義務"を科している状態になってしまうことがある。しかし、それは焦りに繋がり、「世界観に没落して、楽しんでいる状態」とは程遠くなってしまう。

彼の言葉からは、心からギターを愛する気持ちを感じることができる。別にガリ勉みたいに、毎日練習しなくても、心から物事を愛することができる。当たり前だ。

私を含め、こういう「詰め込み体質」の日本人に、彼は新たな視点を与えてくれている。

"好きなことをやれ、じゃないと逮捕されるんだよ"

Q:なぜ、音楽をやるんですか?
A:好きだから。好きなことをやるのがいいんだよ、じゃなきゃ逮捕される。

実際に彼が言ったのは、こうである。"You do what you love or you get arrested." ジョーク的な言い方なので、インタビューアーも笑っていたが、本当にその通りである。

「親をガッカリさせたくないから、安定した職に就かなければいけない」と思ったり、なんとなく社会の目を気にしたり。そんなことだから、自分のやりたいことさえも分からなくなる。それどころか、自分は誰なのかさえも分からなくなる。

人生は、長い。

時間があるんだから、好きなことをやってみるのがいい。やりたいことを目を輝かせてやっている人に、誰が文句を言うだろうか。

"森で働いたお金で、安いギターを買った"

以下が、彼がギターを手にした経緯である。

Q:ギターを手にした経緯は?お父さんが買ってきたんですか?
A:いや、父は私には構わなかったよ。
Q:じゃあ自分で買ったんですか?
A:もちろん。すごく安いやつを買った。森で働いて、木を切って、草原でニワトリの世話をしたお金で買った。

うまく言えないのが本当に惜しいのだが、この話に感動した。その感動とは、ルー・リードというロックスターは、どこにでもいる人間だったのか、という驚きなのだろう。私たちと同じように、やりたいことがあったから、まず仕事をしてお金を稼いで、やりたいことを始めたのである。

知識ではなく、感覚を大切にする

以下、彼がインタビューで答えた内容である。

私は、どういう風に音が鳴っているのが好きなのか、知っている。だから、どこに音が足りないのかがわかる。
私は、ベース(チェロやチューバ)がないベートーベンを聴きたくない。ヒップホップもそうだ。ベース(低音)がないっていうのは、まるで脚を切断されているようなものだ。ほとんどのヘッドフォンは、"脚がない"ようなものだ。
Q:音楽とは何ですか?
A:音っていうのは、不可解だ。私たちは素晴らしい耳を持っていて、何かが近づいてくるのがわかる。犬もそうだ。人間の6倍も耳がいい。音っていうのはなんだ。音っていうのは雑音以上のもの。秩序だった音が音楽なんだ。

彼自身は風だったのかもしれない。60年代〜00年代にかけて、風が吹き抜けていったような気がする。現代に大切なものを残し、自然に還っていったんだろう。彼については、この数分間のインタビューしか聞いていないので、深くは知らない。だが、彼の生き様はこういう表現で間違いないような気がする。

この晩年のインタビューは、決して論理的ではない。彼は、一問一問に、的確に答えない。彼の"間"で、彼のリズムで、心臓の鼓動のように、風のように、"自然に"答える。それが、死ぬほどいい。

自分たちは昔から人間だったのだろうか、と考えると、そうではない。私たちは、もともと動物だ。自分たちには、視覚・聴覚・嗅覚・触覚があって、それを感じながら生きてきた。そのはずなのに、頭で覚えた知識に縛られるようになってしまっている。もっと、知識と感覚をブレンドさせて、生きたいと思う。

何でもない日常が、本当の幸せ

彼の『Transformer』というアルバムに、『Perfect day』という曲がある。この曲を聴くと、涙が出てくる。秋晴れの日に、人がいない郊外を歩きながらこの曲を聴くと、なお涙が止まらなくなる。ここに、自分の忘れていたものがある。

以下が、『Perfect day』の歌詞の抜粋である。

公園でシャングリラを飲んだ。暗くなって、家に帰った。
動物園に行って、動物たちにエサをやった。そして映画を観てから、家に帰った。

最高な日だ。この時間を、あなたと一緒に過ごせたことが。

社会人として働いていると、功利主義(結果主義)の中で結果を出すことに勤しむあまり、自分のパフォーマンスばかりに目がいったりする。自分が何もできていない気になって、自信が面白いように消えてなくなったりする。馬鹿みたいだが、本当にそんなことがよくある。

この社会で健康に生きている人は、この「何でもないような日常の幸せ」を感じながらも、功利主義の中で、結果を出す努力を続けているんだろう。そんなこと言っても、そんな器用なマネできるかよ、という気になる。

数週間前、私は双極性障害(躁うつ病)と診断された。躁うつというのは、人口の16%が生まれつき持っている特性であって、病気ではないらしい。しかし、やはりこういう特性を持ちつつ、社会で生きるのは大変だと感じる。

この彼のインタビューを見たとき、彼の言葉は、私の躁うつにプラスに作用していると感じた。彼の言葉は、太古から生命を受け継いで、私たちが今ここに生きているんだ、ということを思い出させてくれる。

原始のエネルギーをくれる、平沢進

こういう話をしていると、「そろそろコイツはボブディランの話を始めるんじゃないか」と思われるかもしれない。だが、私は彼の音楽を語るには、時期尚早すぎる。まだまだ彼の良さがわかっていない。

代わりに、平沢進という音楽家の話をしたい。彼はP-Modelというバンドもやっていたが、ソロになってから『救済の技法』というアルバムを出した。これが、すごくいい。このアルバムを聴きながら通勤した自分は、この日、こんな日記を書いている。是非、このアルバムも聞いてみてほしい。名盤である。

人生で初めて本当に"思い出した"。もっと自分は空に近くて、大地近くて、太古に近い。自分の出自は両親からでは全くない。

原始のエネルギー。都会の真ん中にいたとしても、大地に還れるほどの安心感。快楽。精神病は全て治るような薬。それも自然由来の。交感神経は働くこと忘れた。今のこの電車は静かな海底になって海藻が揺れ始める。自分も漂う。

風に揺れる木は海藻が揺れてるようにしか見えず、歩く人は知らない生物で、大地の奥の方から風は吹いて、時間の流れは完全に遅くなって歩行は遅くなり、遅刻しそうになった今日の朝。


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