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発信を楽しく続けるために。いろんなスタイルで「書く」ことを自分に許してみる。

こんにちは、タツミです。


新年から体調を崩し、熱自体はだいぶ落ち着いてきたものの、鼻水や喉の痛みが多少残っており、万全とは言えない状況です。


𝕏を見てても、風邪をひいていたり体調を崩していたりする人が多いですね。まずは自分のこととは思いつつ、心配です。


あたたかいお茶を飲んで休みつつ、それでも何か発信したいなぁ〜〜という気持ちは消えなくて。こうやって書き始めちゃいました。


思えば、12月の毎日更新Noteをやっていた時もこんな感覚でした。


「何か書きたい」
「何かを伝えたい」
「何も思いついてないけど、伝えたい」


とパソコンに向き合い、その人を振り返りつつ感覚で書き始める。
そんなことの繰り返しだったんです。


やり始める前はうまくいくとは思ってませんでしたが、意外と自分に合ったスタイルを見つけた1ヶ月でしたね。



ここまで書いたことですし、今回は「自分のスタイルが定まらなくて困っている人」に向けて、「書くスタイル」についての話をしようと思います。



どうぞお楽しみください!



「書く」の感覚は人それぞれ違うと思いますし、同じ人の中でも複数のスタイルを持っている人が多いと思います。


ボクももちろんそうです。


毎日更新を始めた頃は、「自分のスタイルを1つに絞ろう!!」ということを目的の1つにしていたんですけれど。


いろんな書き方を試しているうちに、「なんか違うな・・・」と。


この「なんか違うな・・・」という感覚。意外と当たるんです(笑
直感的な違和感みたいなもの。これまで何度も助けられてきました。


その理由を探ってみたら、自分の中に「同じ熱量で、同じスタイルであらゆる発信を構成すべき!」という思い込みがあるっぽい・・・ってことに気づいたんですよね。


長文で人に伝える書き方をしたいなら、それだけで記事をかくべき!



感情や感覚を優先した書き方をしたいなら、論理さは諦めるべき。



こんなこと誰にも言われていないのに。
どこにも書いていなかったのに。



自分で自分の可能性を狭めていました。



もちろん、ある程度スタイルの一貫性があった方がいいのは事実です。


同じスタイルで描き続けていると、「この人ってこういう表現するんだな・・・」とか、「この人の構成面白いな・・・」みたいに、ある種キャラ付けというか、ブランド価値になることもあります。


それがきっかけで、自分に興味を持ったりしてくれる人もいる。
そうなったら嬉しいし、とてもありがたいことですよね。



ただ。だからといって、100%全て同じスタイルじゃないと!というのは、少し極端すぎませんか?ということです。



論理的にバチバチ書いている記事の合間合間に、ちょっとほっこりする感情マシマシのエッセイがあってもいい。



気づきや発見、学びが得られるような記事の中に、作者の日常を細かく描写したコラム的な記事があってもいい。



むしろちょっとしたアクセントがある方が、作者の人柄や表面にはあまり表れない隠れた魅力を発見することにつながるんじゃないかな。



料理も、同じ味付けのものをひたすら食べ続けるのって苦しいじゃないですか。ちょっとしたアクセント・隠し味を入れたり、ガラッと味付けを変えたりすると、また気分も変わるはずです。



情報発信・文章を書くこともこれと同じで、自分の核となるスタイル・得意なスタイルを1つ貫きながらも、その周りにいろんなスタイルがあってもいいんです。



むしろその方がいいんじゃないでしょうか。



「メインの記事以外を読んだ人には、自分の本来のスタイルの発信が届かないのでは?」と思うかもしれません。



大丈夫です。



たとえ別のスタイルで書いたとしても、あなたやあなたの表現が根本的に持っている魅力は完全に消えることはありません。


ちょっとした言葉遣い。
読者への気遣い。
ちょっとしゃれた表現のしかた

などなど。他にもあると思いますよ〜〜!


必ず文章の端々に滲み出ています。
ファンになってくださる方の多くは、そういう細かい部分に、直感的に惹かれるんです。



そうなれば、他のメインの記事も自然と読んでくれます。



それに、基本的にメインのスタイルで文章を書いているのであれば、あなたの記事を読んでくれる人のほとんどは、本来のあなたの文章に触れているはず。



同じように、ファンになってくださる方は自然と他の記事も読んでくれる可能性は高いはずですよね。



その人たち向けの羽休めと言いますか、ちょっとした息抜きとして、普段とは別の記事で書いてみるというのも、一つの手段です。



とにかく、ここで伝えたいことは。



複数スタイルで記事を書いても大丈夫ですよ!ということ。
むしろ書いた方がいいですよ!ということです。



これは「書く」以外の「話す」や「表現する」でも同じですね。



いろんなスタイルでアウトプットした方ががより楽しく発信を続けることにも繋がります。そこで、変に自分の中で縛りを設けてしまうのは、とてももったいないんじゃないかな。



と思うのです。



ちなみにボクのメインスタイルは「論理寄り、分かりやすさ優先の2500~3500文字の記事」です。



読んでくれた人が一つでも学びを得たり、気づきを得たりしてくれたらいいな〜〜と思いながら書いています。



ただ、これだけだとどうにも人間味が薄いカチコチのアカウントになってしまい、ボクの発信の目的からも遠ざかってしまうので。



少しずつ感覚で書いた記事や、日常の出来事から得た気づき・思考を展開した記事を書いたりもしています。



この記事も割と感覚で書き始めてここまできている記事ですね。
ただ、読み返すとやっぱりメインの「論理」の雰囲気が漂ってしまっているような気もしています。



まあ、これがボクの本来なんだと思います。
消そうと思っても消せない部分。



なので、ポジティブに受け取りつつボクはこれからも書き続けますし、自分のスタイルを進化させていくつもりです。




そんな感じで、今回は体調が悪いです〜〜ってところから考えた「書くスタイル」についての話をしてきましたが、いかがだったでしょうか?



人はそれぞれ見えている世界も違いますし、人ひとりを見てもいろんな側面があります。ぜんぶが他人とは違う自分です。



日々を過ごす中でその時々に表れるあらゆる自分。



これらのささいな違いを味わいながら、自分のアウトプットもに取り組んでみると、また違った楽しみ方ができるんじゃないでしょうか。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
あなたの発信に、幸あれ。

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語り屋タツミ
皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。