「表現すること」を諦められなかった僕の、これまでとこれからの進路選択。
人生って表現の連続だなって思います。
思えば僕は、中学1年生の2月くらいから「自分を表現すること」「言葉で主張すること」を無意識のうちに禁じ始めていました。
理由はとても単純。
自分が主張すると、周りの大人や、自分より少しだけ年が上の先輩が
「言い訳するな!」「口ごたえするな!」と怒るから。
どれだけ真っ当なことを言おうが、理不尽な言い分でこちらの主張のほとんどは無惨にかき消されていきました。
僕はそれなりに口が達者で、論理を組み立てて話しをしていたし聞いていたので、それが煩わしかったのかもしれませんね。
かといって、状況を無視してなにも行動を起こさないと、謎の「連帯責任」という仕組みで自分も怒られることもしばしば。
どっちに転んでも、損をするという状況。
そんな板挟みが数年間続く中で、僕は徐々に抵抗を諦めました。
そして感情が、まるで死んだかのように動かなくなっていったんです。
だけど、心の底では表現の追求を諦められなかった。
意識的に感情を殺すことはできても、無意識は騙せなかったんです。
その証拠に学生時代に僕がしてきた選択、特に「進路選択」のところどころに、「表現したい!」という欲求が見え隠れしていました。
中学3年生の夏。僕は当時所属していた男子バレーボール部を卒部。
それと同時に、音楽の先生からの推薦で合唱部に有志として入部しました。
現実では自分をうまく表現できなくても、小学校での合唱経験を活かし、せめて歌の世界だけでは自分の心を表現しようと試みていたんだと思います。
高校時代は、弓道部に入り武道を通して自分を見つめ直し、「射」という形で自分を表現しようとしました。
大学受験を意識し始めてからは、自分が他の人の行動原理を追求したくて、心理学も学び始めました。僕の原点である「嫌われる勇気」という本にあったのもこの時。
結果的に、立命館大学の総合心理学部という新設の学部で、
あらゆる心理学を学ぶことになったんです。
大学時代は、小学生時代から憧れたダンスに目覚め、社交ダンス部に入部。
「パートナーとのダンス」という形で2人の表現、ひいては自分の表現を追求しようとしていました。
心の奥底で諦められなかった「価値観」に従った結果、こんな感じで自然と「表現すること」を選択していた。
「表現」の導かれていた僕のこれまでの人生だったな、と感じます。
振り返って思うのは、「表現」は自分が整っていないと破綻してしまうんだということ。
大学時代は、ある程度のところまでダンスはうまくなりましたが、僕の力不足や、人としての器が小さかったこともあり、正直自分が望む表現を突き詰めることができませんでした。
それどころか、むしろ自分を含めた「人」に対する信頼感や不信感が増していってしまったんです。
表現とは自分を曝け出すことだと、何かの本で読んだことがありますが、
本当にそうで。
自分が整っていないと、人に対する信頼感や、「自分を受け入れてくれる人がいる」という確信が持てなくなります。
安心感がなければ、自分を曝け出すことは難しいし、表現も中途半端になる。 この状態が続くと、やがて感情が大抵のことでは動かなくなってしまったり、自分の欲が分からなくなってしまうんですよね。
実際、大学生時代はうつ病寸前くらいまでいきました。
(今思うと、よく耐えられたな・・・って思います。)
だからこそ、フリーランスになった今では、自己理解を進め同時に自分を整えることに細心の注意を払っています。
おかげさまで、少しずつ。本当に少しずつ自分に表現の許可を出し始めることができてきた感覚があります。
こうやって毎日Noteも継続できていますし。
今の環境に日々感謝感謝です!!
その裏には、やはり「自分を受け入れてくれる人」との出会いがありました。学生の時代は見えている世界こそが全てで、周囲に嫌われたら生きていけないと思っていたけど。
社会人になって、世界の見方が広がった今、「自分を受け入れてくれる人」は必ずいると思えています。
その確信と、確信を裏付けた出会いが僕や僕の表現を支えているんです。
ちなみに、フリーランスになったのも、そのほうが楽しいし、何より「自分の世界を持つこと」「自分を表現すること」が許された世界だと感じたからというのが大きな理由です。
結局、会社員にはならずに4年近くもフリーランスを続け、今でも日本中を旅したり、ポーカーしたりしているのですから、やはり僕の人生は「表現すること」からは逃げられないのかもしれません。
でもそれでいいんです。人生は表現の連続だから。
だからこそ、今日も僕は自分を表現していくんです。
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