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嫁感が足りない
今朝がた、Twitterでこんな話をした。
嫁グラフィーって、当人たちが納得して撮って出してんなら他人がそれ自体に口を出すことではないと思うけど、配偶者感がないとただのきれいな写真だよね。#それすら撮れないやつが偉そうなことを言う
— ぶんちゃん (@kakudabunjin) April 25, 2019
昨今話題になっている「嫁グラフィー」なるものについての言及である。
もちろん、お互いが納得の上で「写真を撮って撮られてそれをネット上に公開すること」それ自体は他人が口を出すようなことでもない。そして、ここnoteに限らずTwitterやインスタグラムなどネット上で公開するからには写真の腕にも自信があるのだろうし、当然私など比較対象に出すのもはばかれるほどなのではあるが、私はこう思ってしまうのです。
着飾って場所選んで構図決めて、嫁さんをモデルとして売り込みたいならそれでいい、いやただの嫁自慢でもいいんだけど、それは職業モデルさん連れてきて撮った写真とナニが違うの?ってね。
— ぶんちゃん (@kakudabunjin) April 25, 2019
個人的には「嫁グラフィー」と名付けるからには「嫁感」が欲しくなってしまうのです。ここが難しいところで「嫁を撮った写真ならそれらはすべて嫁グラフィーだ」という主張もわかります。しかし、その「嫁」とはあなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか?
凝ってそれっぽいシチュエーションとか衣装とか構図で撮ったりすると、撮影技術があるほど「職業モデルさんを使った仕事での撮影」っぽくなっちゃう(笑)「その人が自分の嫁であるから撮れた」って写真ならいいんですけどね。#それどんなんやねん#自分でも何言ってるかよくわからない
— ぶんちゃん (@kakudabunjin) April 26, 2019
「嫁」と「職業モデル」を見分けることが、撮られた写真から可能でしょうか?「嫁グラフィー」と呼ぶなというのではない、ハッシュタグを使うな、でもない。しかし、そう呼ぶからにはあなたの嫁を、「ならでは」を、「でなければ」という写真を撮り続けていただきたい。もちろん「そうせねばならない」理由などはありません。
noteでもたびたび見られる「関係ないハッシュタグをつけて人目に触れる機会を増やす」話につなげるのはやめておきます(笑)
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