過ぎ去った思い出が蘇る日を
私が思うに、過去にnoteブームと呼んでいい時期が三度あった。一度はサービス開始当初、二度目はハッシュタグ機能追加後、そして三度目は今年初め頃からの盛り上がりである。
そのいずれも、noteという新しい場所あるいは追加された新機能を使って新しいことを始めようと試行錯誤する多数のユーザーの活動によるものだった。noteがブームになるとは、そういうことなのだろうと思う。
しかし、最近のnote運営側の動きを見ていると、それとは異なることを考えているように思える。現在note運営側が行っていることは、noteの外部へ向けてnote内の記事を宣伝、紹介して外部に新たな読者を求め、読んでもらうという手法である、それによってnote自体の認知度を上げたいということなのだろうが、それでは宣伝や紹介した記事そのものは読まれてもnoteへは人はやってこないのではないだろうか。
かつてブログという概念が誕生し一般に広まっていく中で、あるTVタレントのブログが閲覧数において世界一と認められギネスブックに登録されたり、あるいはもともと有名ではない一般人でもそのブログの内容によっては評判になりまた書籍化などもされ、それによってまた「もしかしたら」「自分もいつかは」と新たにブログを書き始めた人々も多いのだろう。
そういった人々の流れは「ブログブーム」であって、例えば「アメーバブーム」や「ライブドアブーム」ではなかったように、著名人や有名ブロガーの記事をどれほど大勢の人々が読んでも、それは「noteブーム」とは呼べないのではないだろうか。
あるいはnoteで記事を買ったりサポートを行うこと自体が流行して多数の人々にとって日常的なこととなり、それによってnoteが盛り上がっていけば、それもまたnoteブームと呼べるのだろうか。
この記事を書いている今も、noteでは無数の素晴らしい記事や作品が投稿され、評価どころかろくに人の目に触れることもないままタイムラインの彼方へと流れてゆく。
それら数多のノートたちがいつか過ぎ去った夏の思い出のように消えてしまわず、ストックとして生きる日が来ることを切に望む。
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