リワークという場所(3)
あけましておめでとうございます。
去年のうちに、この話は書いて、今年は新しいネタで行きたかった、という思いもありますが、思いの外、年末年始が多忙だったことと、PCが不調になったことなども重なって、このタイミングになってしまいました。
このグダグダのスタートも、なんか自分らしくていいかなと思います。
あんまり、この年末年始は「お正月!」という雰囲気ではなかったですしね。休みも3が日だけで、4日から仕事してましたし。
そうそう、リワークの話ですね。第1話、第2話は、それぞれのリンク先をご参照ください。
先の2つの話では、リワークという場所で何を行うか、ということを少し書きました。
今日のここの場所では、リワークにいた人たちについて書こうかと思います。
自分がリワークに通っていたのは、10年ほど前の2009年~2010年で、ちょうど東北の震災の起こる前年になります。(リワークから復職して、ほぼ1年ほど経った3月に東北の震災が起きました)景気に関する事件としては、リーマンショックの頃になります。
私がリワークに通っていた頃は、私のようなプログラマ・SE系の人も多かったのですが、銀行員の方、営業の方が多かったのを覚えています。やはり景気が悪くなると、ノルマがきつくなって、休職→リワークのコースが多かったと想像されます。今だと、コロナの影響で、また違う層の人たちが、リワークに訪れていることかも知れませんね。
ただ、そういうところに来て接した多くの人たち。鬱であったり、統合失調症、双極性障害などの方が多かったのですが、世間の人がどういう印象なのかはわかりませんが、話をしてみると、実に魅力的な人が多かった、という印象なんですね。
最初は鬱で元気がなくても、通所して復調して頭が回転を始めると、実に優れた哲学者であったり、詩人のような深みのある人生訓を語ったりするのです。ここから来るのは、やはり世間的に真面目な人がなりやすい病気というのもあながち嘘ではないということ、頭のいい人が陥りやすいという印象を持ってしまったのを覚えています。
仕事をしている心構えみたいなことを話し合いをしていたときに、特に普段はあんまり意見を言わない人が、ぼそっと「これからは、「力は抜いて手は抜かず」の心得を座右の銘にします」なんて言ったときは、ハッとさせられました。人生置かれた境遇が変わって、心が落ち着くと、本音として言いたいことや、なにがしかの見直しをする機会になり、自分たちでも思ってもみない何かを悟るということがあるのかも知れません。
かくいう私も、ここのリワークに通って気付かされたこともあり、例えば専任のカウンセラーと話をしているときのことなのですが、技術者やる前には、小説家になりたい、と思っていたんですけどねーなんて言ったら「やったらいいじゃないですねー」「やらない後悔よりやって後悔ですよー」なんて言われもしました。今だったら、ネットで小説を発表するのって、なろう系サイトだとか、あるいはnoteでもできるか・・なんて思ったりもしますが。その頃は絵空事と思っていましたが、さて考えてみようかも、なんてことを考えたりもしますからね。
自分の考えなどに、リワークで大きな影響はうけているとは思うのですけれども、ここで知り合った人たちとの出会いというのも大きかったですね。自分の悩みのあれこれも、その人たちを通して客観して見ることができたり。
こういう施設が良い施設なのか、悪い施設なのか、正直わかりません。ニーチェの「真実なんてものはない。ただ解釈だけが存在する」という言葉でいえば、それを良い経験とするか、意味のない経験としてしまうか、というのは、その後の人生で決まるもの、としか言えないかと思います。自分にとってはプラスでしたし、今の仕事につながっているところもあります。
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