親が「よかれと思ってやったこと」は、やっぱり余計なことでした
大学生の息子がバイトについてのんきすぎる、という話を以前書いたのですが、先日そのバイトについてひと悶着ありました。
8月初めに面接に行った個人指導塾のバイト、早々に採用は決まりましたが数回の説明や研修が超スローペースで、実際に授業を始めたのは8月末。その後もシフトは週一、しかも定期ではなく「明後日に」とか「来週に」と急に連絡が来る。そのやりとり(LINE)も返信がなかなかこないのでやきもき……という具合。
最初のんきだった息子もさすがにストレスになってきたらしく、「このバイトは外れだった」「これじゃあ、ほとんど稼げずに夏休みが終わる」と嘆き、別のバイトを探してみると言い出しました。
私はそのバイト探しについては結構勝手な感想を言ってました。「コールセンター? 苦情とかの対応じゃないの? 大変だよ~」「掃除? 大変すぎて私は絶対できないな~」とか。
そうこうするうちに、近所の個人商店でのバイトが選択肢に上がります。以前からバイト募集の貼り紙がしてあったのです。息子は少し悩んだ末、話を聞きに行き、すんなりと決まってしまいました。
なんだ~よかったじゃん!
塾とのやりとりと別のバイト探しが相当ストレスだったらしく、しばらく暗~い顔をしていたので、ほっとした……のもつかの間、私に対して、息子はどうも歯切れが悪いのです。なんなのかと話を聞いてみると、
「母ちゃんはこのバイト、気が進まなかったんでしょ?」と。さらに、新たなバイト探しのときには、「あれもよくない、これもよくない」と否定ばかりされて「じゃあ、どうすりゃいいんだよ?」と思った、と。
ああ……確かに夏休み最初にバイトを探しはじめるときは、「え、○○商店? せっかくだからもっと違う経験してみたら? 塾のバイトとか?」と言いました。
よかれと思って。
近所ではなくもっと大きな世界で、人にものを教えるとかやってみたら? せっかく大学生なんだし、数学得意なんだし。
そして別のバイト探しのときは、否定したつもりはないけど、こういう懸念点がある、ああいう心配もある、と言いすぎたかもしれない。
よかれと思って。
ショックでした。一番気を付けていたことなのに、「誘導」したり、「出してくる案を全部否定」したりしていた。そんなことをする親にだけはなるまいと思っていたのに。「選択」は必ず本人にさせようと意識してきたのに。
もちろん息子は「母に言われたから塾バイトに決めた」とは言いませんでした。でも、私の言葉にプレッシャーを感じていたのは事実。
あーあ、また余計なことしてたんだな。息子の愚痴を聞くのも、バイトについて意見を言うのも、できるだけフラットに、あくまで自分の意見を、「よかれと思って」伝えていただけなんだけど、やっぱり余計なことだった。
「親にできるのは、子供のじゃまをしないことだけ」
って名言だといつも思ってきたけど、身をもって感じさせられた一件でした。ずいぶん会話が増えていたので「なんでも気軽に言い合える」ような気がしてたけど、「母親」という権力を意図せずとも持ってしまっていることを忘れてはいけない、と改めて思いました。