
【規律とサントーシャ】ヨガ師匠と巡業中の練習で気づいたこと
(過去のInstagram投稿から引用)
(師匠は熊本をベースに世界中で教えているズッダ ロータスヨガスクールです @zuddhalotusyoga)
九州からの移動、休みなく連日の東京ワークショップで100人越えの皆さまと交流してから、次のワークショップのために長野は野沢温泉に、夜遅くに到着。
明らかに刺激過多、
からだもアタマもたくさん使い
割と疲労蓄積な状態、
だけど、
(さすがのタマスランド年間フリーパス所有者の私ですら)
師匠との旅で
「朝の練習に起きて来ない」をする勇気はなく😂
翌朝、歯磨き、冷水シャワー、鼻うがい
朝の浄化を済ませて
4:30amすぎ、ウェイロンのいる広間へ。
そこは、泊まらせていただいている宿の共有スペースの一角なんだけど
部屋に入る瞬間からもう明らかそこだけ空気感が違ってる😳
一緒にツアーしてて思うのが、
ビジネスホテルだろうが
どこであろうが、
彼が瞑想を始めた途端、そこは
“いつもの聖なる空間”ムードに変わる。
練習を重ねるとはそういうことか。
その人の中に積み重なったものが
オーラのように滲み出てその場の
雰囲気を変えてゆくのね。
🌌
(ちなみに私、こんだけヨガしてるように見えるけど、
ヨガしたいしたいわけではなく、自分のカオスな性質上、やらないと手に負えないからしてる感がだいぶあるタイプです😂)
真っ暗な部屋で瞑想から始まり
気がついたら窓の外は
沈みゆく満月と一面に広がる銀世界❄️
なんて美しい環境で練習させてもらえてるんだろう。
同時に、
旅で環境が変わっても
日常と同じルーティンをすることで
得られる安心感や、グラウンディングのちから。
その場の空気にもってかれやすい私にはこういう練習はとても効く。
旅先あるあるの
「あれしたい!これしたい!あそこ行きたい!」が発動する目移りモードに振り回されず、
「旅先であれ日常であれ、
どんな経験も、起こるべきことが起き、
そうでないことは起こらない」
それだけだから
焦らなくていい、
あなたはなにもmissingしてない、
と、「今」を受け入れられる状態へ。
そして欠乏感からくる
あれしたい、これしたい、は
自分の根っこと繋がっていないことからくるのかも、と思ったら
朝一に自分の根源と繋がることで、
そのあとはもう何をしても、
しなくても、いい。
外にいろいろ求める必要がなくなる、ということなのかなと。
強い刺激に溢れる世の中で
そしてその刺激に知らず知らずに
アディクトしてしまう世界において
「なにもなくてもしあわせ」
充分である、満ち足りている、
を感じられる状態でいられることの
こころの平穏さ。
この状態は
気づいたらすぐにいなくなるから
毎日そこに戻ってくる練習をする。
今回の東京ヨガ哲学トークサットサンガでも言っていたね。
✨
「何かをしたい」と思うのは悪いことではない。むしろそれがあなたをあなたたらしめる個性であり、世界に多様性をもたらす美しいもの。
けれど、それに捉われていること、つまり「それができないとつらい、イライラする、もやもやする、かなしい」のは、いわゆる執着している状態。
✨
これはほんとにいつも自問自答する。
この、「これ言いたい、これしたい、これ食べたい、会いたい」は、できなくても私はインナーピースを保てるか?と。
それができないときは
Unhealthyになっているサイン。
書くのに疲れたから
オチはないけど以上。笑
あ、最後に
今朝みんなで唱えたshanti mantraの響きに魂が震えて
こうして集まって、
呼吸、意識、振動を一つにするという行為のパワフルさを感じたよ。
こんな機会をありがとう。
(Instagram から引用)