母の「戦争体験記」~わからない事は母に質問~「ボイスメモ」便利!
数日前に、小学生だった私の娘の「宿題」の為に、母が書いた「作文」の記事を書いた。
これは、小学生だった孫に、語り掛けるように「文章」を書いている。
この「作文」とは別に、母が自身の「戦争体験記」を書いていた。
「尋常小学校」から始まり、戦中、戦後に続いている。
おそらく、自分の為に書いたであろう「文章」は、結構な「文字数」だ。
なので、noteに全文を記載しようとは、考えていない。
でも、Wordで、データー化するため、少しずつ、「まとめ作業」をやっている。
当然、読んでいると、わからない「箇所」が、所々に出てくる。
母の「文章」の説明が、不十分な為でもあるけれど、「単語」や「固有名詞」の言い方が、今と違う。
当時のままの「言い方」を、母は使っている。
さらに、そもそもの当時の「社会制度」が、違う。
特に、「学制」が違うことが、理解困難の要因になったりする。
なので、「介護施設」いる母の面会に行くと、「理解困難」な箇所を、私は必ず「質問」することにしている。
先ずは~「国名」
例えば、現在の「ミャンマー」を、戦前は「ビルマ」と言っていたことは、知っている。
映画化もされた、有名なお話「ビルマの竪琴」は、実話をもとにしている事もあり、知っていた。
その他の国については、よくわからない。
母との「会話」の流れで、
「おじちゃん(母の兄)が、終戦を迎えたのは、どこだったの?」
と尋ねると、
「え~っとね~、終戦を迎えたのは、え~と・・仏領インドシナだわ~」
「フツリョウ インドシナ」って、どこのこと?
一瞬、「マレーシア」のことかと思った。
伯父が、終戦を迎えた「仏領インドシナ」は、現在の「ベトナム」だ。
母は、伯父の「復員の話」をする時は、「仏領インドシナ」という言い方をする。
戦前の「学制」~「高等女学校」のシステム
母に話を聞いて、「高等女学校」は、5年制だという事を初めて確認した。
小学校を卒業し、「受験」を経て「進学」する学校だ。
現在の「学制」に当てはめると「中学校受験」をして、「中高一貫校」に進学する感じだ。
母の「体験記」の中に、昭和19年(1944年)、戦争がだんだん酷くなり、通っていた「高等女学校」が、当時の「文部省」(現:文科省)の方針で、翻弄される場面がある。
母が「3年生」の時、あと1年間、在校するはずだった「4年生」が、「進級」することなく、もともと卒業予定だった「5年生」と一緒に卒業させられてしまう。
母の「体験記」には、自分たちが「4年生」に「進級」した時、突然「最高学年」になったと、書かれていた。
この箇所が、難解だったのは、「高等女学校」が「5年制」であることを、私が知らなかったからだ。
母の「文章」だけでは、意味が解らなかった。
「文章」をちゃんと「理解」する~
母の「話」を聞いて、文章の「意味」と「意図」を理解すると、なんとも不完全燃焼な「女学校時代」だったのかと、深く理解した。
この年、卒業した「5年生」と、突然「卒業」することになった「4年生」の生徒たちは、前の年(昭和18年:1943年)、雨の中「明治神宮球場」で行われた「学徒出陣式」で、「男子学生」たちを見送った「女子学生」たちだ。
「体験記」によると「通常の授業」を受けられたのは、「4年生」の「1学期」までで、その後、ほぼ勉強する「機会」を奪われているのが分かる。
1学期終了後、国の「学徒動員令」により、「勤労動員」で、「工場」に働きに行かされている。
そして、この頃から、「疎開」する生徒も増えだす。
授業はできず、毎日「工場」の作業に駆り出される「生徒たち」を前に、「卒業」させることを、先生たちが「困難」に感じてきたことが、伺われる場面が「体験記」に書かれている。
先生から、
疎開先で「学校」に通う場合は、
出来る限り「公立校」に転入する事、
そして、
「同窓会」は入れるけれど、
この学校の「卒業証書」は、与えられない事を伝えられる。
母は「疎開先」で、女学校を「卒業」したけれど、戦後、東京に戻り、夜間クラスに通い、この高等女学校の「卒業証書」を手にした。
今でも「同窓会」の「会費」を、母は、しっかり収めている。
母と「同期」で、現在ご存命の方は、私が知る範囲で、母の他に2名いる。
とにかく「ボイスメモ」を使う!
子どもの時から、さんざん聞かされてきた親の「戦争の話」を「タイムライン」で、私は理解できていない。
父が亡くなって、聞いておけばよかったと思うことが、沢山ある。
だから、母が生きているうちに、聞いておこうと思っている。
むかしのことを質問すると、
母は、まあ~~喋る、喋る!
ある事?ない事??
喋っているうちに、
だんだん「頭」が、冴えてくるのか、
初めて聞く「話」も出てくる。
とにかく、よく覚えている~
「この人の名前、初めて聞いた!」みたいなことに、私は、遭遇する。
母には、当時の「風景」が、「モニター」に映されるように、観えているようだ。
とにかく「録音」している。
母の「体験記」が長い。
「まとめ作業」は、半分もいっていない。
まだまだ、時間はかかりそうだ。
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