
いったい、どうしたらイイのか!「2025年7月」をいろいろ「想定」しみる~私の一考察~
来年の夏、とんでもない事が、起こりそうだ。
「YouTube」を観ていると、いろんな人が、そう言っている。
実際、どうなるのかは、なってみなければ、分からない。
でも、もしそうなったら、どうするか、それに向けて何ができるのか、私なりに、考えてみた。
≪先ず、起こる可能性がある事≫
その1. 地震→南海トラフ
その2. 隕石落下
その3. 戦争
その4. 太陽フレアからの電波障害?
その5. 富士山噴火
ざっと、並べてみるだけで、5項目にもなった。
今の私に「想定」できるのは・・・
何が「起こるか」で、状況は、違ってっくると思うけれど、
「共通」して考えられる事は、「ライフライン」が止まる事、それに伴って「物流通」が止まり「物」が手に入らなくなること。
では、それを「想定」して、何ができるかを考えてみる。
「電気」が止まるということ
しかも、夏に電気が使えなくなったら、まず「エアコン」が使えない~
それどころか、「扇風機」も、
いやいや「冷蔵庫」だって・・・
冷たい飲み物は、飲めなくなる。
氷が作れない。
さらに、お金も「現金」しか、使えなくなる。
クレジット決済や、ポイントとか~
そもそも、「ATM」が使えない。
「現金」は、手元に用意する事は、必須だ。
しかも、「お札」だけではなく、「小銭」もあった方がイイなぁ!
「異常事態」になった場合、私は、「どこ」に向かうべきなのか~
「避難所」となる、近所の小学校、中学校は、どう考えても、この辺りの住人全員を収容できるキャパは無い。
このまま自宅に、とどまった方が、懸命なのだろうか。
そして「交通機関」は、どのぐらい動くのだろうか。
起こることが「富士山噴火」だとしたら、おそらく「火山灰」は、私の住む地域にも降ってくると思う。
「火山灰」が積もった道を、「車」が走れるのだろうか。
「キャリーバック」や、「台車」は、使用不可になる。やっぱり「リュックサック」で、荷物を運ぶことになる。
「母の介護施設」までなら、どうにか歩いて、着けそうな気がする。
いやいや~それはしないな!
「娘の家」は、どうだろう。
車で、30分以上は掛かる「距離」を、暑さの中、1日で、着けるのだろうか。
夏の暑い日中、動くのは、危険だ!
「備蓄」の事
どこまでを「想定」するのか。
お水、お米、コンロ、電池、マッチ、ろうそく・・・
あと何??
ティッシュや、トイレットペーパー、サランラップ・・・
レトルト食品などは、あまり早くから準備しても、「賞味期限」があるし・・
「異常事態」になって、本当にお腹がすいたら、「賞味期限」なんか、どうでもよくなるのかな~。
私は、今、一人なので、「備蓄」するものは、例えば、4人家族で考えた場合に比べて、備蓄するべき「量」は、多くないはず・・・
それでも、少しぐらいは、誰かに分けてあげられる「余分」は、備えておきたい。
「トイレ」の事
「災害経験者」の方が、とにかく「トイレが一番大変」というコメントを、SNSに書いていた。
「断水」という事ではなく、「下水道」が使えなくなり、流せなくなることを「想定」した方がいイイ。
この場合、黒い「ビニール袋」を、トイレの中に入れて、便座で固定し、その中に「ペットシート」を入れて使用するのがイイと書いていた。
早速、「ペットシート」を購入した。
母が使わなかった「尿パット」の残りも、利用できるな!
今の若い人には、ドン引きされると思うけれど、自宅に「庭」があって、「土」があるのなら、「そこですればイイ」ぐらいに、私は考える。
私が本当に幼い頃、トイレが無い所で「おっしっこがしたい」と、親に訴えると、「その辺でしちゃいなさい」と、言われていた世代だ。
娘とかに話すと「やだ~絶対にやだやだ~!」って、完全に変人扱いだ。
「生活用水」として備蓄してある「水」があるなら、用足しをした場所に、ワンちゃんの散歩の時と同じように、まけばイイよね~~
ダメですか???!
「戦争」の場合
もし、日本が「戦争」に巻き込まれたとして、私の父や母が、経験したような「本土空襲」を受けるのだろうか。
私は、そうならない事を願っている。
それでも、「物資」は足りなくなっていくだろう。
そうなったら、いくら「備蓄」していても、限界がある。
ウクライナで戦争が起こった時、
「もし、直ぐ傍までロシアの戦車が来ているってなったら、
どうする?
逃げる?」
と、母に尋ねた事があった。
「そうよね~ 逃げるのも大変よね~」とのんきに言っていた。
自分たちが「住む場所」が「戦闘」に巻き込まれてしまえば、諦めもつくのだろうか。
自国が「戦争状態」にあるという事と、自分たちが「戦闘」に巻き込まれるというのは、若干異なる事だ。
昭和4年(1929年)生まれの「母」に言わせれば、生まれた時から、日本は「戦争状態」にあった。そこから、「空襲」で、母の家族が自宅を焼失するまで、15年以上あった。
母は、戦争当時のことを振り返り「まさかこんなに早く、空襲を受けると思わなかった」と言った。
昭和16年(1941年)真珠湾攻撃で始まった「太平洋戦争」から、いつかは「本土決戦」になると、囁かれていた中にいても、母は、そう思ったのだ。
一般市民が、わからないところで、少しずつ「戦争」へ社会が進んでいく事は、不気味で脅威だ。
私の結論
何かが起こって、その状況が、どれぐらい「継続」されるのか、「数日」なのか、「何週間」なのか、「何か月」なのか、はたまた「何年」なのか・・・
そんなこと、わからない~!
一週間、頑張れば、その後「自衛隊」が、「物資」を持ってきてくれるのだろうか・・
どれぐらいの「規模」で起きるのか、
とんでもなく「大きい規模」
(これは隕石の場合かな~)
その時、「政府」は機能できるのだろうか・・・
「電波障害」とか起こったら、「携帯」だって使えない。
メディアだって…テレビ・ラジオから、「情報」を得る事ができるのだろうか。
私ができる「想定」は、「ライフライン」が、止まっている中で、「自宅にとどまる」事までだ。
この「想定」を「前提」に、「準備」するしか、今の私にはできない。
本当に、今みたいな「暑い時期」に、
「とんでもない事」が起こったら、
私、無理だ!
もうイイや~
「エアコン」も無く、「扇風機」すら使えず、さらに「冷蔵庫」も機能しない、「保冷剤」とかもない中で、暑さを乗り切れる「自信」は無い。
これまで、毎年のように、軽度の「熱中症」を経験している私は、秋まで、頑張れない。
これまで、半世紀以上の人生の中で、「貧困」「飢え」「戦争」を経験することもなく、私は、ここまで生きてこれたのだ。
もし、来年で、人生が終わっても、充分だ。
何かが起こって、「これまでの事」が、全て壊れ、機能しなくなったとしても、多分、「自給自足の生活」なんて、私は、出来ないと思っている。
だって、ベランダの「家庭菜園」の「ミニトマト」でさえ、育てる「自信」が無いからね~
でも、もし、生き延びたのなら、
なにか自分に「できること」を探して、周りの人達と協力し、助け合い、分け合いながら、生きていくしかない。
それは、それで、「素敵な世界」な気がする。
いろいろ「リュック」に詰めてみると、結構、重い!
これ持って、逃げるのも、かなり大変だよ~!
そうだ、「腰ベルト」は、忘れずに!
ちっとも参考にならない内容ですが、
最後まで、お読み頂き、
ありがとうございます(*^-^*)
いいなと思ったら応援しよう!
