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劇団四季の「アナ雪公演」が中止になってしまい、映画「ベルファスト」を観に行かれた!

「観たい!」と思っていた映画を観に行かれた「事情」

そもそも、劇団四季の「アナ雪」を娘(私の長女)とその息子(孫息子)が、観に行く予定だった。しかし、その日、孫息子が4月に入学する高校の入学説明会だった。チケットを購入した時点では、それが分からなかったのだ。
娘は「何か疲れているし~」「朝から学校説明会に行かなくてはならないし~」で、「アナ雪」は行かないと言い出した。でも、息子には「劇団四季」の舞台をみせたくて…で結局、私が代りに行くことになった。

様々な感染予防対策が取られる中、事前の「連絡先登録のお願い」があったので、登録した。
すると孫息子との「待ち合わせ場所」に向かう電車の中で、「公演中止」の連絡がメールで送られてきたことに気が付いた。

出演者の中にPCR検査で陽性者が出たとの事だった。
娘には「公演中止」の連絡をLINEで入れたが「説明会」の最中であったこともあり「既読」は付かなかった。
とにかく「待ち合わせ場所」に向かった。

そして、娘と孫息子と合流し、時間は「お昼」だったので、3人でランチを食べながら「高校の説明会は、どうだったの~」と話を聞いた。

ランチ後、せかっく、出掛けて来たので、家に戻るのもな~「映画でもみにいこうかな~」と思ったのだ。

「ベルファスト」という映画が、ちょっと気になっていた。
娘に調べて貰ったら、時間も間に合うし、席の予約も取れた。

何故か、観たかった映画「ベルファスト」

この映画の題名「ベルファスト」とは、北アイルランドの「街の名前」で、1969年、この街で起こった紛争の中で、葛藤する家族の物語を描いている映画だ。

もともと「北アイルランドの紛争」について、プロテスタントとカトリックが対立し、しかも「攻撃」をするって「意味が分からない」と私は以前から思っていた。映画のホームページには、「1998年に和平合意をしている」と書かれていたけれど、何故あそこまで「暴力的行為」に発展してしまったのか、私には「全く理解できない」という感覚があった。だから、映画を観たら「ちょっとはその背景とかわかるかな~」と思ったのだ。

それと、普通に「穏やかな日常」の生活の中で、ある日突然、武力による攻撃を受けるという事は、どういうことなのか、ウクライナ市民が今、直面している事を少しでも「実感できるのではないか」という気持ちもあったのだ。

映画を観て感じた事

私は、映画を観るまで、主人公の家族が「カトリック」で、「プロテスタント系住民」から攻撃され、街を離れるべきかを葛藤するストーリーかと思っていたが、この家族は「プロテスタント」だった。

社会的な内容でありながら、エンターテイメント的な部分も有り、最後まで「この家族はどうするのだろう~」と思いながら観れたたのは、この映画が、丁寧に作られていたからだと思う。
主人公「バディ」役の子の演技が素晴らしく、とても自然で「ドキュメンタリー映画」を観ているようだった。

バディが「サンダーバードのおもちゃ」をプレゼントにもらうシーンや「チキチキバンバン」の映画を家族みんなで観るシーンがあり、映画の時代背景が、私には懐かしかった。
「バディは私と同じ世代だな~」と思いながら観てたけど、後で調べたら、ケネス・ブライナー監督は1960年生まれの「同い年」だった。

私は、この歳まで「戦争」や「紛争」というものを経験した事がない。
私は、ケネス・ブライナー監督とは同じ年で、「サンダーバード」も「チキチキバンバン」も「私の子ども時代」にあったけれど、彼が「経験したようなこと」を私は、全く経験した事がない。
私が、半世紀以上生きて来た今日まで、「戦争」や「紛争」を経験していないという事は、今現在、この地球上に存在している人間の中で、一握りの「幸運なマイノリティー(少数派)」に含まれる人間という事だ。

「バディのお父さん」が、暴徒となった彼の「幼友達」に対して言った「暴動に向かわせるものは、心の中にある劣等感だ」というセリフがあった。
※実際のセリフは違っていたかもしれない。

どんな大きな暴力も、「個人的な感情」が「原動」となるという指摘は、意味が深い。同じような立場や状況禍にあっても「そうする人」と「しない人」がいるのは確かだ。

プロテスタントである「バディのお父さん」が、家族を守るために「戦ったもの」は、「同胞」であるプロテスタント系住民からの「同調圧力」だ。

少年バディの目線で、このストリーは流れていくので、私がなんとなく知りたいと思っていた「紛争の背景」は、映画ではよくわからなかった。しかし、突然、日常が破壊され、それまで穏やかに過ごしていた生活が一変すると、街の人々の「関係性」も変わってしまう、その「滑稽(こっけい)さ」がよく描かれていたと思う。

ラストシーンに思う事

ネタバレになるので、詳しくは書かないけれど、ラストシーンは、バディのおばあちゃんの「言葉」と彼女の「深くシワが刻まれた顔」のアップでこの映画は終わる。

人生って、生きてみないと分からない事が沢山ある。歳も実際とってみないと「その年齢の気持ち」は分からない。
だから、若い世代(30代~40代)の人が観て、私と同じように感じるとは思えないけれど、バディのおばあちゃんの「ラストの言葉が持つ凄さ」を感じたのは、1960年生まれの私が、今この「年齢」だからこそなのかもしれない。

おじいちゃんが亡くなり、階段をひとりで昇るのも大変な彼女が、精神的に依存する事なく、「彼女自身の言葉」を持っている事が、どれだけ「凄い事」かは、私がこの「年齢」だからこそ感じることができる事だと思う。映画には描かれていない「バディのおばあちゃん」の積み重ねられた人生が、私にはみえた。

前評判とか全く知らなかった私は、観ていて「苦しくなるような映画かな~」と思っていたけれど、所々に面白さや、楽しさが散りばめられていて「映画」として、楽しめた。

「アカデミー賞脚本賞受賞」というのも、とても納得がいく。
「劇団四季の舞台」が観れなかったのは、残念だったけれど、そのお陰で、久々にイイ映画と巡り合うことができた。


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テレサ
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