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「父の体験」とは違う、母の「戦争体験記」から感じる「東京大空襲」の「酷さ」とは~



1945年3月10日の「東京大空襲」を、これまで、いくつかnoteの記事で書いてきている。それは、私の父が、「東京大空襲」の生き残りだったからだ。
※父はすでに他界


母が書いた「戦争体験記」の中にも、「東京大空襲」の日のことが、母の「体験」として書かれていた。
それは当然「父の体験」とは異なる訳で、


1945年当時、女学生だった母は、生まれ育った家(東京・港区浜松町)を空襲で、既に失い、「新橋・土橋」にあるビルで、父親(私の祖父)と一緒に暮らしながら「勤労動員」に通っていた。

「東京大空襲」の夜、空襲警報の「サイレンの音」が、鳴りやまず、いつもと違うことに気が付き、様子を見に、母は外に出た。

昭和20年3月9日から10日にかけて、東京下町で、大空襲があり、サイレンの音が、いつもより長く鳴っていました。
私は、住んでいたビルを出て、新橋から、銀座方面の大通りの方へ行ってみると、松坂屋(現:銀座six)方面の空が、人気のない暗い街に、不気味な感じで真っ赤になっていました。

暗い夜空に、真っ赤な炎のようなものが見えて、相当な数のB29の大編隊が「焼夷弾」を落としたのだろうと思いながら、眺めていました。
そこに父がやってきて、「危ないから、家に帰りなさい」と言いにきました。

B29の飛行機は、通常8000mの高さで、「紙飛行機」の大きさに見えると言われていますが、「銀座通り」を、京橋方面から、飛んできたB29一機は、低空飛行だったので「3m」位に見えました。

ビルの壁にピッタリくっついて、「飛行機」を見上げていたら、「パイロットの顔」が、ハッキリと見えて、相手からも、「自分の顔」が見えたのではと思い、急いで家に戻り、床に就きました。

翌日、朝早く、「空襲」で焼け出された方が、小学校1-2年生ぐらいの女の子を連れ、「少し休ませて欲しい」と言ってやってきました。

「死人の間を縫うように歩き、深川方面から、勤めているビルを目当てに、ここまで辿り着いた」と、父に話していました。
 墨田川も、火に覆われ、大勢の死体が浮いていて、怖かったとも話しいました。
やはり、夕べ見た「あの炎」は、深川・本所だと、父と話していた通りでした。
【中略】

工場に行く時、新橋のホームに立つと、春というのに、どんよりとした空が見え、昨晩の煙が、漂っているような感じがしました。

「母の戦争体験記」:テレサ編集

この晩、母が見つめていた、「不気味な感じで真っ赤になっていた空」の下で、父の家族は、空襲から必死で逃げていた。


母の住んでいた「浜松町」は、東京で一番最初に「空襲」の被害を受けた地域だった。

その後も、何度か「空襲」を受けている。
しかし、殆ど「死者」は出なかった。

母の話によると、B29から落とされるのは「焼夷弾」であって、所謂「爆弾」とは違うから、爆発はしない。「出火」はするけれど、「消火」したり、「火」から逃げられれば、どうにか「命」は助かる、という事らしい。

だから、もし「浜松町」に落とされたのが、「焼夷弾」ではなく「爆弾」だったら、もっと死者が出ていたというのが、母の分析だ。


でも、多くの人達が亡くなった「東京大空襲」だって、

落とされたのは「焼夷弾」だったでしょ?

と母に尋ねると、


だから、

つまり、落とされた「焼夷弾」の「数」が、

如何に「多かったか」って、いうことよ~

と答えた。


それまでに「東京」が受けていた「空襲」とは、全く違う、だから「大空襲」なんだ。

とんでもない数の「焼夷弾」が、あの日、墨田川の周辺に落とされたという事なんだ~

私は、改めて、その「酷さ」を認識した。


父は、あまり「空襲」について詳細を、語らなかったけれど
「あの日は、いつもと全然違った…」とだけは、言っていた。


アメリカが、意図的に、壊滅させるために、しかも「民間人」に対して攻撃をしたという事を、これまで「父の体験」と重ね合わせながら、私は思い巡らしていたけれど、母の話を聞いて、新たな視点で、その「酷さ」を思った。


どんなに「国際法」を照らし合わせて分析したところで、「史実」として、起こった事を変換することは出来ない。

母は、むかしの話を、いつも「あっけらかん」と、懐かしそうに話すけれど…

母の「戦争体験記」からは、「歴史」として残されている「記録」からは分からない、当時の「悲惨さ」「惨めさ」が、そこにいた人達の「生活」と一緒に伝わってくる。

私の中に、「両親の戦争体験」を、出来るだけ「落とし込む」ことは、自分のためでもあり、次の世代に向けて、「何か」を繋ぐ事だと思っている。


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