ドラマ「虎に翼」を観て、「95歳の母」が感じる「違和感」って~
介護施設に入所した母を、どうしても「皮膚科」のクリニックに連れて行かなければならなくなり、先日、同行した。
この日は、「施設の昼食」は、スキップさせてもらい、クリニックから戻り、自分の部屋で、「サンドイッチ」と「お饅頭」を食べ、母は「お昼ご飯」に変えた。
テレビをつけると、NHKの連続ドラマ「虎に翼」が、放送されていた。
石田ゆり子さんが演じる、主人公の母「はるさん」を観て、
母が、こう言った。
「終戦間もないのに、
このお母さん、毎回、着物が違うのよ、
このお嫁さんも、いつも綺麗な着物を着てるのよね~、
だから、もともと持っていた着物が、
焼けずに残ったってことなのよね~
いつも、このドラマ観て、そう思うのよ」
このドラマの「主人公の家族」は、今の住所で「東京・港区・麻布」にある立派な家に住んでいた。
その後、戦争になり、国に、自宅を「接収」され、「空襲」が激しくなる前に、確か、登戸の方に「疎開」し、「終戦」を迎えている。
自宅を「接収」されるというのは、辛い出来事だったとは思うけれど、「主人公の家族」は、自宅にあった「荷物」を、きっと「全部ではない」にしても、目ぼしいものは、運び出せているはずだ。
母は、「戦前」から「戦中」にかけて、「主人公の家族」が住んでいた同じ、現在の「東京都港区」に住んでいた。
戦争が激しくなり、アメリカの「空襲」が始まり、「母の家族」は、自宅を失った。
しかも、東京で最初の「空襲」を受けた場所だったから、「まさか!」という思いで、焼け出されたのだ。
この「空襲」で、「母の家族」は、殆どの「持ち物」を失った。
母は、未だに、「この時の事」を、何回も話す。
銀座の「松坂屋デパート」で、
母親に、駄々こねて、
買ってもらった「お人形」も、
私の「七五三」の時の「着物」も、ぜ~んぶ焼けちゃったの。
うちには、凄くいい「カメラ」があったのよ~
「焼夷弾」が落ちてきて、家が燃えて、
慌てて庭に出たけれど、
部屋の中にその「カメラ」があって、
それだけでも持ち出そう!と思って、
引き返そうとしたら、
近所の人に、
戻っちゃダメ~!って言われて、諦めたの。
母親(私の祖母)が持っていた「着物」も、
この時、全部、焼けたわ~
「靴」だって、
逃げた時に履いていた「靴」が、
大した「靴」じゃなくて、
その後、困ったわよ~
でもね、
あとから、「空襲」に合わなかった友達が、
ちゃんとした「靴」をくれて、
助かったわ~
こんな「体験」をした母からすると、
当時を思い出し「ドラマのお母さん」が、「戦後間もない時期」にも関わらず、「綺麗な着物」を「何枚」も持っている事に、「違和感」を感じるのかもしれない。
「戦後」は、こんなもんじゃなかった・・・って思いながら
母のような「戦争体験者」は、日本から、どんどんいなくなる。