郷土史発掘の先人
天空路を拓く会の趣旨にもあるように、郷土の歴史や文化を発掘検証し、後世に繋げていくことは重要である。
佐伯史談会という会があって、もう半世紀以上活動が続いている。当初からその事務局として、歴史を知る人を発掘し、記録を残す作業を生涯されてきた人がいる。原稿はガリ版印刷だった。小冊子だが年数回は発行されたと思う。羽柴弘氏である。教職についていた経験から、ガリ版は苦にならなかったのかも知れない。私も学生時代部活でガリ版に苦労した経験がある。佐伯史談一冊全部お一人でされていたのだから、驚愕するしかない。この方が郷土の史跡の発掘や検証を進め、歴史を知る先人たちに原稿を書かせてきたからこそ、いま大まかな佐伯の歴史を知ることができている、と思っている。
羽柴弘氏はよく私の祖父の元を訪ねてきた。史跡の現場探検なども時折あったが、祖父も連れられて立ち会った。その祖父について中学生の私も何度も史跡探検にいった。三国峠にある西南の役の史跡や、野津町の、今はなくなったが10号線沿いにあった石塔の調査。三重町の石塔などなど。学生時代、帰省していた時、車出しをしていったこともあった。
羽柴弘氏はクリスチャンであったからかも知れないが、仏塔や遺跡に対しても遠慮なくお調べになった。その姿をまだ覚えている。
佐伯史談会報がどのくらい残存しているか知らないが、相当数はガリ版印刷だと思う。それは全て羽柴弘氏によるものだ。
私が高校生の時、郷土史研究会という部活を立ち上げ、当時高校の図書館司書をされていた羽柴弘氏にお願いして顧問になってもらったことがある。佐伯城の模型を作って文化祭に出しただけで終わったが、その後はどうなったのだろうか。
褒章や勲章を貰う人は、利権に関わった政治家や企業経営者がおおい。地味ながらも、郷土の歴史や文化を掘り起こし、記録する活動をされてきた羽柴弘氏の功績は偉大なものである。間違いなく羽柴弘氏がいなければ佐伯の郷土史はこれだけ記録として残されることはなかった。私は羽柴弘氏の功績を顕彰し、後世に伝えていくために、郷土の歴史文化の発掘や研究に貢献した人へ、羽柴賞なるものをあげたいと思う。
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