六段の調べの初段はもっとテンポ速く弾いても良い
六段の調べ(以下「六段」)といえば、「春の海」に並んで箏曲として最も有名な曲でしょう。古典の入門として練習することが多く、手を弾くだけなら難しくありませんが、音楽的には非常に難しく、古典は「六段に始まり六段に終わる」などと言われます。
流派によって差がありますが、よくある六段の演奏のテンポは以下のものでしょう。
初段、二段は緩徐に弾く
三段の途中から徐々にノってゆく
四段〜六段は速く弾く
六段の後半から緩徐になる
初段や二段をものすごくゆっくり弾く演奏をたまに見かけるのですが、もっとテンポ速く弾いても良いのではないかと私は思います。その根拠を説明するため、六段が作曲された時代背景を踏まえて、八橋検校がどのような意図で六段を作曲したのかを想像してみます。
以下は八橋検校が箏曲を作るまでの歴史です。
筑紫の僧・賢順が、雅楽や寺院歌謡を元に筑紫箏を大成した
八橋検校が賢順の弟子・法水から筑紫箏を学んだ
八橋は段物や組歌、平調子を開発し、俗箏を大成した
八橋は筑紫箏を
と感じていたそうです。元々僧たちが聞く音楽なわけですから、庶民に馴染まないのは当然でしょう。仏教音楽が庶民にも浸透したという点で、箏は明治以降の琴古流尺八と似た歴史を辿っています。
重要なのは、八橋が庶民にも馴染みやすい箏曲を目指していた点です。六段は実は八橋検校のオリジナルではなく、当時の流行歌や器楽曲でよく使われた旋律をアレンジして作られたと言われますし、雅楽の律音階ではなく、庶民に馴染みのある都節音階を使って平調子を作ったあたりからも、それが伺えます。
こうした背景を踏まえると、六段という曲は、演奏会でよく披露される手事物とは曲風がかなり違うことが分かります。単純に時代背景や唄の有無が違うだけでなく、手事物(特に松浦検校・菊岡検校・石川勾当らが手がけた京流手事物)が重厚、しっとり、典雅な作風なのに対し、六段は「荒れ鼠」などの作物に近い、もっと砕けて気軽に弾ける作風であったと思います。
ここで曲のテンポの話に戻りますが、最初に述べた「初段や二段はものすごくゆっくり弾く」というテンポは、京流手事物のような重厚な曲にふさわしい弾き方であり、六段はもっと初段から速く弾いて良いのではないかと思います。例えば、宮城道雄が六段の箏を演奏された音源がありますが、これなどは初段からテンポが速めです(三段からノって四段から加速するのは通常通り)。
また、別の例だと、川瀬里子(九州系地唄の名人)が三絃を弾いている三曲合奏の音源がありますが、これも初段からテンポが速めです。最近の重厚壮大な六段よりも、こうしたテンポの速い六段のほうが、八橋の目指した六段に近いのではないかと私は思います。
※元の動画の音量がかなり小さいため、音量を大きくしてお聞きください。
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