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タニロクを歩く。#1

 自宅の最寄り駅から電車に揺られて20分。
 大阪メトロ、谷町六丁目駅。

 「美味しいコーヒーが飲みたい」
 そう思った私は、今日もこの駅に降り立った。


 ‐ タニナナコーヒー ‐



 4番出口を出て右ヘ進むと、ほどなくして空堀商店街の入り口が見えてくる。今日は商店街の中ではなく、その1本南の通りにあるお店が目的地だ。

 タニナナコーヒー。
 名前のとおり、コーヒー屋さんである。
 谷六にはカフェがたくさんあるけれど、そんな中でもこのタニナナコーヒーは、他とは毛色の違うコーヒースタンドだった。
 コンセプトは、『ブレンドで遊ぼう。』
 好きな豆を自分で選んでブレンドしたコーヒーが飲める。というお店である。
 自分でブレンド――といっても、そんなに難しいことじゃない。10種類あるコーヒー豆の中から、思うままに選ぶだけ。何種類チョイスしたっていい。ご店主が配合して、美味しいドリップコーヒーを淹れてくれる。まさに遊び心の詰まったコーヒー屋さんだ。

 住宅街を進んでいくと、ガレージの隣に立て看板と扉が現れた。
 このおしゃれな木枠の看板がなければ、そのまま通りすぎてしまうかもしれない。
 中を覗くと、そこは「こじんまり」とした売り場だ。店内の奥行きは1間――あるか? お客さんが2人入れば充分な広さである。
 なんでも、物置きになっていたガレージの空きスペースをセルフリノベーションして作ったお店らしい。
 店は道路に面していて、扉は開け放たれている。けれど、この控えめな店構えのおかげで、まるで秘密基地に辿りついたかのようなワクワク感があるのだった。

 ちょうど先客のいないタイミングだったので、私はすぐに店内へ入った。「いらっしゃいませ」と、カウンターの向こうから女性が声をかけてくれる。
 彼女こそがタニナナコーヒーのオーナーであり、DIYでこの秘密基地をつくり上げたご本人である。

 カウンターにはシャーレが10個。その中には、焙煎された10種類のコーヒー豆がそれぞれ入っている。まるで理科の実験室みたいだ。
 好きに選んでブレンドしてみるというところは、たしかに実験めいているなぁと思った。色の濃淡や艶の加減、普段はあまり意識しないコーヒー豆の違いは、こうして並べてみると個性があって面白い。
 とはいえ、豆を眺めているだけでは味の違いまでは分からないのである。
 私は、右手の壁に視線を移した。
 そこにはメニューが貼ってあり、豆の特徴と、「酸味」「苦味」「コク」が5段階で示されている。
 コーヒーに詳しくない人でも、これを見れば何となく自分の飲みたいものがピンと来るかもしれない。
「どんなコーヒーがお好みですか?」
 ご店主が訊ねてくれた。
「えっと、前に来たときは『バリは飲んだことないなぁ』ってゆって、それをベースに他の豆もちょっと混ぜてもらったんです。すごい好きな感じでした」
「じゃあ、どちらかといえば深煎りがお好きですか」
「そうですね。深煎りをよく飲みます」
「深煎りでしたら、3番、7番、9番ですね」
 豆は1から10までナンバリングされている。現在のメニューは、3番がバリ。7番はマンデリンで、9番がエチオピアだ。
 私はコーヒーが好きだけれど、そこまで詳しいかと言えばそうでもない。煎り方の違いと、よく耳にするポピュラーな豆のざっくりとした特徴が何となく頭に浮かぶ程度。
 ただ、その中でもエチオピアという豆に関していえば、素人のわりにそこそこ「知っている」部類に入ると思う。
 エチオピアはフルーティーな酸味が特徴で、スペシャリティコーヒーをあつかう流行りのスタンドでは、浅煎りから中浅煎りぐらいで提供されているイメージが強い。私の好みはしっかりとしたコクと苦味がある深煎りのコーヒーなので、まるで正反対の印象だ。正反対だからこそ、覚えている。
 タニナナコーヒーのメニューには、エチオピア・イルガチョフの浅煎りと深煎り、両方があった。
 イルガチョフ地区の農園で生産された同じエチオピア豆を、まったく異なる焙煎度で。
 これはもしや、飲み比べをしたら面白いんじゃないか。
 ふとそんなことを考えたものの、さすがに2杯も飲むわけにはいかない。
 素直に3、7、9番をブレンドしてもらえば、きっと私好みのコーヒーになるんだろう。前回はバリがベースだったので、今回はあえて外すというのもアリだ。しかし、エチオピアの飲み比べも捨てがたい――いやいや、やっぱりこの時間に2杯飲むのはちょっと。
「……エチオピアの深煎り、ストレートでお願いします」
「かしこまりました」
 今日は深煎りにして、次に来たときは浅煎りを飲むことにした。
 このタニナナコーヒー、ブレンドで遊ぶというコンセプトでありながら「ブレンドしない」という選択もできるのだ。
 逆に10種類全部を混ぜる、なんてこともできてしまうんだから面白い。
 10種類ブレンド。
 案外ハマっているお客さんもいると聞く。いつか試してみようか。

 厨房の棚には、ゴールドの数字があしらわれたマットな質感の黒い缶が並んでいた。ご店主が手に取ったのは9番の缶。
 挽き立ての豆を目の前でハンドドリップしてくれる、贅沢な待ち時間だ。
 カウンターの端のほうにはショットコーヒーのディスペンサー。その隣には、コーヒーサーバーがそのままランプシェードになった照明が吊り下がる。これもご店主の手作りだというから驚きだ。「コーヒー屋さんだからコーヒーサーバーの照明を」と思いついたとして、実際に作ってしまうところがさすがすぎる。
 店内にコーヒーの香りが立ち込めるなか、さらにカウンター周りを観察していると、ひと際目を惹くものがあった。
 壁にくっついている、黒電話だ。
 以前来たときはドリッパーやコーヒーカップばかり見ていて気付かなかったけれど、厨房のものすごく分かりやすい位置に黒電話が取り付けられていた。さすがにインテリアだとは思うが、いや、案外普通に使えたりするんだろうか。
「お待たせしました」
 そうこうしているうちに、注文したコーヒーが出来上がってしまう。
 お会計をしつつ、私は思いきって訊いてみることにした。
「あの、そこの黒電話ってどこかに繋がるんですか?」
「あ、これはですね……」
 言いながら、ご店主は黒電話の側面についているハンドルを回した。すると、厨房の出入り口扉付近で電話のベルが鳴ったのだ。
 扉の外側にもう一台の黒電話がついているらしい。
 厨房の外とはつまり、ガレージである。鳴り響く電話に颯爽と走り寄ったのは、先ほどからガレージで作業をしていた男性だった。
 男性は素早く受話器をとると、私の姿に気付いて「合点がいった」ような表情を浮かべた。
「あっちの黒電話に繋がるんです。内線として使ってます」
「なるほど……」
 聞けば、男性はご店主の旦那様とのことだった。同じガレージ内でそれぞれのお仕事をされていて、今、突然電話が鳴ったものだから慌てて駆け寄ってきてくださったというわけだ。
「交換手さんがいた頃の電話なんですよ」
 扉の向こうから顔を覗かせ、旦那さんは朗らかに笑いながら教えてくれた。
 私の古い記憶では、黒電話といえばダイヤル式しか見たことがなかった。このハンドル式はそれよりも以前のものだ。ハンドルを回して発電させ、相手側のベルを鳴らす有線の黒電話。ダイヤル式が普及してからは、外部への連絡手段ではなく内線用として活躍したらしい。
「田舎のほう行ったら、役所に繋がる専用の電話として使われてたりね」
「へぇ~」
 現役として使われた時期は案外長そうだ。実際、今こうして活用されている実物が目の前にある。骨董品として鎮座していてもおかしくないというのに。
 私が感心しながら旦那さんのお話を聞いていると、隣でご店主も興味深げに相槌を打っている。その様子が、なんだかとても印象的だった。
「古いものがお好きですか?」
「あっ……いや、そういうわけでもないんですけど」
 あぁ、しまった、正直に答えすぎた。ちょっと失礼だったかもしれない。
 でも、高らかに「好きです」と返事をしてしまうと、それはそれで嘘になりそうな気がする。
 たしかに、このタニナナコーヒーの店構えや備品には木のぬくもりや真鍮のアンティーク感、雑貨のレトロな雰囲気が漂っていて、とても好みの空間だ。けれど、私が個人的にそういう物に目がないというよりは、このお店の、ご店主の感性や遊び心が丸ごと好きなのだと思う。
 ――ということをどうにも上手く説明できず、代わりにDIYの話に触れて、手作りの照明がかわいい、すごい、と感想を述べた。私はもう少し語彙力を養ったほうがいい。

 あまり長居をしてしまっては、次のお客さんのご迷惑になってしまうだろうか。
 私はご店主と旦那さんにお礼を言ってお店を出た。コーヒーは公園で飲むことにしよう。
 お店から歩いて数分の場所にある桃園公園には、親子連れが数組。遊びまわる子どもたちの楽しげな声が響いていた。ベンチには先客がいたので、私は少し離れた石造りの腰掛けに座った。
 タニナナコーヒーのテイクアウトカップには、プラスチック製の蓋がついていない。上部が折りたためるようになっている、本体と蓋が一体になったエコ仕様のものだ。こういう形の紙コップがあることを、私はこのお店で初めて知った。バタフライカップと呼ぶらしい。
 可愛らしい『ほっこりブタさん』のシールが貼られたカップ。
 隅々まで溢れる手作り感に、こちらまでほっこりさせられる。

『本当は蓋をしたまま端っこから飲むんですけど、全部開けたほうが香りがいいので試してみてください』

 ご店主が言っていたとおりにカップの蓋を開けると、コーヒーのアロマがふわっと立ち上った。一口飲んでみれば、深煎りらしいコクと甘さが口の中に広がっていく。淹れてもらってから少し会話していたおかげで、猫舌気味の私にはちょうどいい温度になっていた。
「……美味しい」

 じんわりとコーヒー欲が満たされていく。
 自宅で豆を挽いて淹れるコーヒーだってもちろん良いのだけど、こうしてお店で丁寧に淹れてもらう一杯には特別感がある。
 公園でぼんやりと深煎りのコーヒーを飲みながら、やっぱり谷六はいいなぁという思いに浸るのだった。



ほっこりブタさんのバタフライカップ


MEMO & 店舗情報

最寄り駅は谷町六丁目ですが、お店の所在地は7丁目なのです。

「自分で豆を選んでブレンドする」を自宅でやろうとすると、なかなかにコストがかかってしまうもの。
それがコーヒー屋さんで叶うのだから嬉しいです。
もちろんブレンドだけじゃなくて、ショットコーヒーやミルクコーヒーもありますよ。

そして、ドリッパーやカップ、カトラリーといったコーヒー雑貨も並んでいます。
「コーヒーを飲みながら手紙を書いたりする時間を楽しんでもらいたい」ということで、レターセット、万年筆、インク等々、素敵な文房具まで…!

好みのブレンドに出会えたら、豆の購入も可能です。
ぜひ、タニナナコーヒーでお気に入りの一杯を見つけてみてください。

タニナナコーヒー
大阪市中央区谷町7-6-17
【営業日】
 火水木金 11:00〜17:00
 土 11:00〜17:30
【定休日】日、月
https://www.instagram.com/taninanacoffee/

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