東京拘置所で死刑囚は私に言った「俺は殺ってない。女3人とも死体をみていない。冤罪なんだ」|本庄保険金殺人事件・八木茂
1995年から99年にかけて、埼玉県本庄市で起きた保険金殺人。首謀者とされる八木茂は直前まで各メディアに露出し疑惑を否定し続けたが、2000年3月逮捕。02年10月、さいたま地裁で一審死刑判決。08年7月には、最高裁上告棄却により死刑が確定している。
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは。
「俺は会見で嘘は言っていないからね」
「小林さんの夢を観ました。2人でA(※共犯女性・編集部伏字)の家(フィリピン)行ってアドボを食べた夢でした。僕の方は相変わらず元気で、来年中の再審開始に向けて頑張って折ります」
2011年10月20日、東京拘置所からわたしに届いた一通の手紙。差出人は八木茂死刑囚(61・当時)。99年の夏から、ワイドショーで殺人疑惑が連日報道された「埼玉本庄保険金殺人事件」その人である。
3人の男に総額15億円にもおよぶ多額の保険金を掛け、2人が不審死、亡くなったひとりに保険金3億円が支払われていた。モザイク入りの八木サンと、被害者にトリカブトや風邪薬、多量の酒を飲ませたとされる愛人3人の素顔がマスコミに晒されたのは2000年3月24日。前年の7月13日から始まった、パブや居酒屋での「有料記者会見」は203回にもおよび1500万円も荒稼ぎした。
「1000%逮捕はない」と、集まった記者たちに豪語。八木サンはテレビカメラを前にキックボードを乗り回し、エアガンを撃ちまくるなどやりたい放題のパフォーマーだった。逮捕1ヶ月前には「これが見たかったんだろう」と刺青も披露した。
会見場になったパブの入場料が6千円、愛人だった武まゆみ受刑者が経営する居酒屋での二次会が3千円、わたしは1万円札を握りしめ本庄市に日参した。八木サンは「好感度記者ランキング」なるものを突然店内に張り出し、恥ずかしながらわたしはナンバー2にされてしまった。13回目の会見が終わった7月26日の深夜、八木サンからわたしの携帯に初めて電話が入った。
「小林さん、あんたとは話ができるよ。俺は会見で嘘は言っていないからね。殺ってたらこんな電話は掛けられないでしょう。俺はそんなに太くないよ」
連日詰めかける百人近い報道陣の中でわたしは八木サンと年齢が近かったし、与し易いと侮られたのかも知れない。
最初の会見から1ヶ月後、わたしは単独インタビューに成功した。場所は新宿・歌舞伎町。武まゆみとフィリピン人のAを従え八木サンは区役所通りのフィリピンパブに入った。ホステス全員を指名した八木サンは上機嫌でわたしに焼酎を注いだ。一口飲むと間髪入れずに「まあまあ」と注ぎ足す。飲ませ方のタイミングが実にうまい。亡くなった2人もこうして毎晩浴びるほど酒を飲まされていたのかと実感したものだ。
前後不覚になるほど酔ったわたしは「八木サン、本当は殺っているだろう」と本音を吐いてしまった。一瞬眼孔が鋭くなったものの「あんたも同じだな」と寂しそうに呟いた八木サンの表情が今でも忘れられない。
08年7月、最高裁は上告を棄却し八木サンの死刑が確定した。3人の愛人は一審の判決を受け入れ下獄した。逮捕から4年が経った04年3月、八木サンから一通の葉書が届いた。
「接見禁止が解除になりました。よって面会に来て欲しい。冤罪が発生したのです」
東京拘置所の八木サンは頬がやつれたものの雪のように色白で、肩まで伸ばした髪にも白いものが混じっていた。顎髭を蓄えた八木サンは「キリストに似ているだろう」とニッと笑った。ああ、このノリは八木サンだ。懐かしく、こみ上げるものがあった。
「俺は殺ってない。女3人とも死体をみていない。冤罪なんだ」
15分の面会時間中「俺は無実だ」とまくし立てた。嘘をついていないように思えてくるのはこの人の人徳なのだろうか。物的証拠が少なかった本件は、実行犯とされた愛人3人の証言が八木サンを追い詰めたといえる。
「武まゆみは女検事に騙され嘘の供述をした。トリカブトをあんパンに入れて食わせたというのは偽りの記憶なんだ」
懲役12年で服役していたM(享年47)は、2009年6月、ガンのため八王子医療刑務所で亡くなった。死後、実母に戻されたMの蔵書には冤罪をテーマにした本は一冊もなかった。
ここから先は
定期購読《アーカイブ》
「実話ナックルズ」本誌と同じ価格の月額690円で、noteの限定有料記事、過去20年分の雑誌アーカイブの中から評価の高い記事など、オトクに…