追悼“ポルノの帝王”怪優・久保新二「生きるって恥ずかしいことだから」/オナニーひと筋「シコシコマン」、自らイタした女性の暴露…映画界に嵐を呼びまくった男の壮絶人生
今年5月、訃報が届いたのは、タモリや桂三枝が応援し、横山やすしと喧嘩したこともある日本ポルノ映画界の重鎮、「シコシコマン」の異名も取った怪優・久保新二。その久保チンが、新宿のど真ん中でキャピキャピのメイド嬢を率いてカフェを開いていた2007年、ウワサの店に直撃すると……!?
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国土館の尾崎クンが、新宿のメイド喫茶の店長に!
メイドカフェといえば秋葉原が本場だが、東京新宿のド真ン中にメイドカフェの人気店があるのを御存知だろうか? 新宿アルタに近いビル2階の「新宿みるふぃ」は知る人ぞ知る新宿唯一のメイドカフェである。もちろん選りすぐりの女のコが「お帰りなさい、ご主人様」とにこやかに迎えてくれるのがウリだが、この店にはもうひとつ別のウリがある。店内に入ると中高年ならばすぐに気がつくだろう。どっかで見たことのある男がいるなあ、うーんどっかで見たはず……なんて想い出してから、青春の日々がよみがえる?
ここの店長・新ちゃんこと久保新二さんは、かのスクリーンポルノ全盛時代に一世を風靡した「シコシコマン」。山本晋也監督をはじめとする「怪優」ぶりは、ピンク映画や日活ロマンポルノのスクリーンで目に焼きついたまま忘れられないという往年のファンが多数いる。学生服に度の強いメガネをかけて登場し、奇声を発して大暴れしたかと思うとあげく下宿の美人ママとズッコンズッコンとイタしてしまう。彼の演じる国土館大学尾崎クンという強烈なキャラクターは、言うなれば一九七〇年代の隠れたスーパーヒーローだったと言っても良い。今ではテレビで寅さんやクラシック映画にウンチクを語るご隠居になった山本晋也カントクが、そのハイテンションなノリで撮りまくったポルノ映画には、いつもわれらが久保チンの怪しい勇姿があったものである。デビュー当初は二枚目の俳優だったそうだが、山本監督との出会いが人生を変えることになる。
「国土館大学土木学部道路標識学科センズリ専攻(笑)。モミあげつけてね、歌手の尾崎紀世彦と同じ役名。ときどき歌っちゃうしね。『未亡人下宿』がやっぱり一番人気あったんじゃない。若い学生のファンは多かったからねえ。あれね、尾崎クンの部屋は俺が自分でセッティングしてさ、チョクさん(山本晋也監督の愛称)とアレコレ相談しながら撮ってたんだよ」
——あのシリーズ、今観ると時代や世相も入っていて楽しいんじゃないんですか。
「そうだろうね。今の映画にもAVにもない世界、ノリで作ってたからね」
——『未亡人下宿』の他に『痴漢』とか『女湯』とか、いろいろありましたよね。
「あれね、『女湯』シリーズっていうのは、テレビの『時間ですよ』の元ネタなんですよ、知ってた?」
——えっ、そうでしたっけ!? 僕はてっきりテレビのパロディが『女湯』シリーズだと思ってました。
「違う違う、テレビのスタッフが『女湯』の撮影現場にやって来たからね。テレビでやらせて下さいってね。おい、こんな裸の出るのテレビでできんのかよ〜って言ってるうちに始まったのが『時間ですよ』、ホントだから山本カントクにも聞いてごらん」
——もう『未亡人下宿』を見てない男のコはいないっていう時代でしたよね。下宿で夕飯にすきやきが出ると未亡人のママと下宿の誰かが一発できるという……。あれ以来、ずっとすきやき食うとエッチなこと連想するっていうクセついちゃってましたもんね。
「五代目ママの橘雪子が有名だけどね、初代ママの青葉じゅん、若いのに色っぽくてね。コレが好きで風呂場のシーンで触ってくるんだよね。映画はあれきりで、その後ストリップから神戸福原のソープ嬢になったっていう流転の人生だね、彼女ね」
——いやあ、いろんな女優さんいましたね。
久保新二がメイドカフェの店長というのはミスマッチかも知れないと、開店当初は隠していたという。特にそれを宣伝するより久保チンを知らない世代がターゲットなのだから無理もない。しかし、お客の間では、「あれはポルノの久保新二らしい」とか「目つきがやくざだ」とか徐々に噂が広まった。メイドたちに混じってゲームの時など、「最初はニャ〜」などメイド用語を連発するユニークな店長が評判を呼んだのだ。
「ピンク男優御三家」の一人、その出発は二枚目の美少年!?
ここ「みるふぃ」はカウンター喫茶、他店にはない至近距離でメイド嬢との楽しい会話やゲームができるのも特色。コーヒーにも砂糖を入れてくれる。「いいところで、ニャンと言って下さい」てな具合。ところが、場所柄だろう。サラリーマンやカップル、時にはチンピラやニューハーフ、ホストといった新宿ならではの人種が入ってくることもある。そんな時、応対に困っているメイド嬢に替って店長の出番がやってくる。「オウ、外へ出ろ」なんてこともたまにある。
「歌舞伎町の人間は、みんな体張ってやってるからね。俺なんかの場合は、本来は役者であるというのはあるけどね」
——本業は、やっぱり役者ですか?
「それは、死ぬまで役者ですよ」
——最近もピンク映画には出てるんですか?
「出てるよ、たまにね。言われりゃ若い監督の作品も出るけどね、あんまり昔のようには期待してないけどさ(笑)。去年は雛形あき子の昼のドラマにスケベな作家の役で出たよ。それからVシネマみたいのにもチョコチョコ出てるから」
——出身は劇団ひまわりって本当ですか?
「親戚のおじさんが東映にいてね、その関係で新ちゃん顔がいいからやんないかって誘われたんだよ。高校の時入ったんだけど、演技のレッスンにも歌のレッスンにも一度も出たことがない(笑)」
——デビュー作は若松孝二監督の『血は太陽より赤い』で、いきなり主演。
「そう、オーディションがあってね、みんな受けたんだけどダメでね。俺が行ったら一発で受かったの。若松さんが、まさにこういう奴を探してたんだって言った」
——あの映画、昔見たんですけど、ずっと久保さんが主演だったなんて気がつかなかった(笑)。シコシコマンのイメージとあの少年たちのイメージが全く結びつかなかったですよ。
「18歳かな、あれで。ひまわりに行くのと同時期に四谷のゲイバーでバイト始めてね。ひまわりの奴がバイトしてたんだよ、別にホモでもなんでもない奴なんだけどね」
——久保さんは両刀使いって聞いてますけど、出発はそのゲイバーなんですね。
「そうそう、その後有名な日景さんに可愛がってもらったり、いろいろあるけどね。そういう経験がホモ映画に出たりするベースにはなってるよね」
——ピンク映画では二枚目から。
「向井寛監督なんかの作品でもいろいろ出てるよ。だから若松さん、向井さんが業界におけるお父さんみたいなとこはあるよね(笑)」
——来年で俳優生活40年になるということですが、もう僕が子供の頃からやってる!
「うん。この間から後輩やら監督連中やらがなんやかんや言ってくれてね。最初還暦の話が出たんだけど、40周年じゃないかってことでね、お祝いしてくれるって言ってる。その時には真赤な学ランを作ってくれるらしいよ(笑)。俺のトレードマークだったからね」
——国土館の尾崎クンですね。
「俺ね、『未亡人下宿』では赤い腹巻してたけどね(笑)。その上に学ラン着てっていうスタイル、そいで雪駄か下駄ね」
「レイプマン」港雄一、「演技派ナンバーワン」野上正義、「シコシコマン」久保新二、六〇年代からピンク映画で活躍し続けてきたこの3人を、人は「ピンク男優御三家」と呼ぶ。いずれも犯した女は数知れず、出演本数は星の数ほどという強者ばかりだ。最近、この三人が揃って出演する記念映画の企画も持ち上がっているともいうことだ。
寝た女優たちのことを正直に書いたら、大問題になった!!
久保チンといえば「ポルノ映画界相姦図裁判」の被告になったことでも、ひとつの伝説化している。
映画だけでなく、ストリップなどの舞台を一座を組んで回ったり、エッセイやトークなどに多芸多才ぶりを発揮していた。その人気はポルノ業界にとどまらず、彼の映画を見たタモリや桂三枝といった芸能人もファンとして応援することもあり、時には一般映画に準主演で出たこともある。山本晋也監督のコミックソング「マスマスのってます」をヒットさせたこともある。人気絶頂の頃には、ひょんなことから横山やすしと喧嘩になったこともあるらしい。
ある時、週刊誌や月刊誌に発表した過激なエッセイが話題を呼んだ。いや、問題を巻き起こしたのである。
——伝説の『ポルノ映画界相姦図裁判』について聞いてもいいですか?
「構わないよ。もう終わったことだから。まあ口は災いの素(笑)。あの一件では随分苦労したけどね」
——キッカケは『週刊大衆』の『久保新二が寝た50人の女優』でしたっけ。とにかく実名入りでやっちゃった女優さんのこと書いちゃったんですよね。
「あれね、別にウソを書いたんじゃないんだよ。それぞれのことも綺麗に書いてるしね、ちょっと描写が微に入り細に入りすぎたとかもあったけどさ(笑)。名前だって最初は変えてたんだから」
——でも、宮神純子とかすぐに分かるような名前でしたよ(笑)
「大人げないことをしたと思うけどね。すぐその気になっちゃうからいけないね。ねえ、正直だから」
——安西エリ、小杉じゅん、白川和子、青野梨魔、中川夕子、いっぱい名前が出ましたね。
「最初ね、映画評論家の村井実さんに原稿見せたんですよ。そしたら、これは問題ないんじゃないのって、むしろやるべきだよって言われたんだから。あとであの人、そんなこと言ってないって言ってたけどさ(笑)」
——週刊大衆、アサヒ芸能、それにセルフ出版から出ていたズームアップ。三誌の記事が問題になった。
「みんなで告訴するからみたいな話だったからね、最初は。こいつはヤバイぞってね(笑)」
——結局、裁判に踏み切ったのは安西エリさんでしたか。
「久保チンは売れっ子になって天狗になって許せないってことは言われたね。結局が各誌100万円ずつと俺も100万円、支払って終ったの」
——やっぱりポルノ界って男女関係メチャクチャなんだっていう印象は残しましたよね。その後のAV界の過激さから比べたら可愛いいもんだったんですけどね(笑)
「俺のはすべて仕事の一環だよ、当時からそう言ってたの。AV男優が現場で本番やって何回発射したとかって、そういうエッセイ書くような時代になっちゃうんだから」
——プライベートなSEXじゃなかった?
「ないない、仕事の延長」
——ホテルへ行くのも?
「もちろん。でも、俺も雑誌にノセられてしゃべり過ぎたよ。反省はしてるよ」
われらが久保チンに反省は似合うはずもないが、今さら寝た子を起こしてはいけない。
千葉県のマイホームに妻子を残して、新宿二丁目に単身赴任しながらの店長稼業。朝から晩まで目の回るような忙しさで、昨年秋にはダウンすることもあった。けれども今は元気いっぱい。今は昔のスクリーンポルノから飛び出たキャラそのままで、メイド嬢たちの中でギャグを飛ばす。もしかしたら、この仕事、久保さんにピッタリなんじゃないだろうか。
歌舞伎町の路上で「生きるって恥ずかしいことだから」とつぶやくように一言言ってから、駆け足で店に戻って行った久保新二。やっぱり、その後ろ姿は「役者」以外の何者でもなかった。
(「実話ナックルズ」2007年8月号より)
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