「そのときの父と母はまるで妖怪のようだった」幼い頃に両親のセックスを目撃したことで狂った私の性
自身の毒親育ちの経験や生きづらさについて執筆する五葉(いつは)さん。幼少期の性的な原体験が、のちの人生に大きく影響しているという。夜な夜な目撃したあの光景が、いまも脳裏に焼き付いているーー。
「ませた少女」の告白
私は幼稚園の頃から両親の性行為を何度も目撃したことがある。このことは、同級生の「Nちゃん」にしか話したことがなかった。Nちゃんとは幼稚園からの女友達で、性的なことも話せるような仲だった。私たちはちょっと、いやかなりませていたので、小学校低学年で、放課後みんなが校庭の遊具で遊んでいるのを尻目に、公衆電話からテレクラにイタ電をしたり、露出狂に遭遇したときの対策について話し合ったり、ままごとでは不倫だの離婚だの昼ドラのような設定を立て、周りの子とはちょっと違う遊びをしていた。
Nちゃんの家は二世帯住宅の一軒家。グランドピアノ専用の部屋があって、シベリアンハスキーとウサギを飼っていて、裕福な家庭だった。所ジョージに似た、人の良さそうなお父さんと、天海祐希の骨格で中森明菜の顔をした美人のお母さんがいた。
一方私は、地域で一番築年数の古い団地に住んでいた。1号棟と2号棟があって、住んでいたのは1号棟の方。1号棟は建物の壁の色がクソダサい肌色(いまはペールオレンジっていうんですよね)。向かいの2号棟もボロかったが、建物の壁が薄水色で、見た目には2号棟の方が断然よかった。
私もNちゃんも幼稚園の頃から同じ先生にピアノを習っていた。グランドピアノで本格的なタッチを極めていたNちゃんとは違い、私はおもちゃのような電子キーボードで練習していた(数年後、祖父にアップライトピアノを買ってもらったが)。
父はパンチパーマで、つなぎを来ていたり、デコトラに乗ってたり、同級生からは「お前の父ちゃん、暴走族かヤクザだろ」とからかわれたりした。家の冷蔵庫には「E.YAZAWA」のステッカーが堂々と貼られていて、父は矢沢と長渕と虎舞竜と吉幾三がお気に入りだった。
家に飾ってあった若かりし頃の写真には、白のボンタン(っていうのだろうか)で愛車のバイクの前にヤンキー座りしているリーゼント頭の父の姿があった。どうみても暴走族だった。ちなみに、その写真は相当お気に入りのようで、今もなお、父が経営するスナックに飾られている。
母は身長が低く小太りで、ザ・専業主婦という風貌だった。犬で例えるとパグみたいな感じで、鼻が低く皮膚が垂れていてシワが多かった。
自分の親とはいえ、母も父も嫌いなので、良い形容ができない。
飼っているのは弟のカブトムシとクワガタ。
Nちゃんと比べると何もかもが冴えなかった。
正反対の環境で育った私たちの共通点は、同じ私立幼稚園とピアノ教室に通っていたこと。貧困家庭の私がなぜ私立幼稚園に通っていたかというと、おそらくだが、母がママ友の同調圧力に負けたのだと思う。母にはNちゃんの母を含め、3人のママ友がいた。その子供は全員、私と同級生の女の子。みな、比較的裕福な家庭だった。母の性格からして、ひとり違ったことをするのには勇気がいったはずだ。いつも、Nちゃん、Kちゃん、Eちゃんと遊びなさいと言われていた。ピアノ教室も同じメンツだった。小2になると、内向的なKちゃん、Eちゃんとはあまり遊ばなくなった。Nちゃんが、唯一気の合う親友だった。
小3の夏休みだったと思う。Nちゃんの家に泊まりに行った。夜、布団に入るとNちゃんがヒソヒソ声で「いいもの見せてあげる」と言った。それはエロ本だった。所ジョージ似の父の所有物だという。え、あの優しいおじさんもこういう本、読むんだ……と軽く衝撃を受けた。裸の女性と男性の絡み合う姿と陰部にかけられたモザイク、意味はわからなくともなにやら卑猥な言葉たちに興奮し、食い入るように見た。
興奮した私たちはごく自然に布団の中で裸になって、何の隆起もしていない平野の胸と、お互いの性器を笑いながら触り合った。私はすでに濡れていた。Nちゃんはびっくりして触るのをやめた。Nちゃんのそれはなんの音沙汰もなかったので、異常に恥ずかしかったのを覚えている。
恥ずかしさの勢いで、告白したのだ。かなり前から自慰行為をしているということを。両親の性行為を見てから、いつからか勝手にそうするようになったことを。Nちゃんは両親の性行為を見たことがないと言っていた。部屋が別だから、見たくても見れない、と。どんな感じ? この本と同じ?と聞かれたので、違う、とにかく気持ち悪くて怖い、全然エッチじゃない、お母さんが逆らえない感じ、と答えたと思う。Nちゃんがなんと答えたかは記憶にない。私たちはその後、普通に服を着て、寝たのだと思う。
親のセックスが子どもに与える悪影響
両親の性行為を初めて見たときは、酔っ払った父が母に乱暴しているのだと思った。母は泣きそうな声でしきりに嫌だ嫌だと繰り返していて、父は暴言めいたことを吐き、母を容赦なく叩いているように見えたから。
襖を隔てた隣の和室で寝ていた私は、母を助けようと泣きながら起きて襖を開けた。母はただ、大丈夫だから寝なさいと言うだけだった。全裸でバツの悪そうな父の顔を覚えている。
その後も何度か両親の営みを見た。数回、止めに割って入った記憶があるが、ある日気づいた。嫌だ嫌だと言っている母は、嫌がってはいないのだと。あれは、母の声ではなく女の声で、両親は何かいやらしいことをしているのだと。
誰にも何も教えられてないのに、5、6歳でも人間の性の本能がそう認識させたのだろうか。
見たくなくても見てしまう。二度と見たくないのに、寝ていてもなぜか音や雰囲気で察してしまう(単純にうるさいからね)。
隣で馬鹿みたいに寝ている弟を起こして、お父さんとお母さんが裸で変なことしてる、と止めるよう仕向けたこともある(弟よ、こればかりは本当にごめん)。
ドラマ「家なき子」のすず(安達祐実)みたいに、外から酒瓶を投げ、窓を割って、絶賛不倫中の親父(内藤剛志)を怒らせるくらいのことができたらよかった(まるでシチュエーションは違うけど)。
子供が勘づいていることに気づいて、一刻も早くやめてほしかったのだ。
ほんの少し開けた襖から、豆電球の灯りの中で、母の背に跨がる父の姿が未だ脳裏に焼き付いている。
そのときの父と母はまるで妖怪のようだった。
物心ついたころから喧嘩ばかりで、不仲だった両親がそういう行為をしているというのが、幼心にもなんとなく解せなかったし、妖怪に変化(へんげ)した2人が、粘着質な音と声で交わる姿は胸糞悪いものでしかなかった(これを書きながら思い返して反吐が出そうになる)。
今思えば完全にトラウマだ。性的虐待だ。調べてみたら「プライマリーシーンの目撃」ともいわれるらしい。
ネットに以下のような記事があった。
《人間は、五感から得た情報を脳内の海馬で記憶として処理し、データベース化します。しかし戦争や災害、交通事故の目撃など、日常ではまず体験しない衝撃的な光景を目にしたとき、その情報が適切に処理されずに、脳内でいわゆるバグが生じてしまいます。それがトラウマ体験の後遺症としてさまざまな問題行動を引き起こす要因になると考えられています。
親のセックスを見た子どもがその情報を適切に記憶のなかで処理できず、反復強迫として、その外傷体験を癒やすために不特定多数の相手とセックスを繰り返してしまうというのも、ひとつのパターンです。》(女子SPA!2020年12月13日「両親の性行為を見てしまい「セックス依存症」に。なぜ?専門家が解説」より)
両親の性行為を目撃したことがきっかけで、性的なことに関する認識が確実に狂った。
性行為は気持ち悪いもの、行為と愛情は無関係、女は男に従順するもの、といった価値観が植え付けられた。それは現在もすべて引っこ抜かれてはいない。その価値観は間違ったものだ、と頭で理解していても、素直に受け入れられないくらい根が深くなっている。
そして、ネットの記事を読んで思い返してみると、若気の至りなどではなく、自分は一時期において性依存症だったのかもしれないと思うことが多々あった。
私は、毒親の弊害を書いていきたい。
生きづらさを抱えている根本原因には、毒親の影響が大いにあると思っている。他責志向な部分もあるだろうけど、私が感じている生きづらさをひとつずつ消化するためには、まずはこの原体験から書くしかなかった。(続く)
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