![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/63067173/rectangle_large_type_2_649299d827bd4e3e2a3ad70c93a24011.jpg?width=1200)
感情を重視するか、理を重視するか?
こんにちは。かどやです。
今日のテーマは『感情を重視するか?理を重視するか?』です。
この2つの『考え方』の違いは、みんなの幸せに直結する非常に『重要な』人生哲学になります。
では、今日のテーマを進めていきますが、
人は『まったく同じ事柄』でも、抱く『感情』は『その人』によって『様々』です。
例えば、
知人に新鮮な『スイカ』をあげたとしましょう。
それで、スイカが大好物な人なら『嬉しい!』と大喜びしますが、スイカが大嫌いな人だと『こんなのいらない!』と逆に怒られてしまいます。
つまり、『スイカをあげる』というまったく同じ行為でも、受けとる側の好き嫌いなどの『個性』によっては、相手の『感情』は『天地の差』があるということを表しています。
その『天地の差』がある『他人の感情』を『大切』にし、『快くしたこと』や『不快にさせたこと』をお互いに『大切』にしていては、世の中の人口の数だけ、他人の『個性』に合わせて生きねばなりません。
そんなことは『不可能』ですし、それを無理に頑張れば頑張るほどに、相手も期待してしまい、『期待』を『裏切られる』ことが多くなりますし、自分も相手に合わせ過ぎて『軸(人生哲学)』が失われ、しまいには自分の言っていることに『矛盾』を含むようになっていきます。
これは、本当に『無益な争い』を生みます。
ですので、人の『感情』よりも『理(ことわり)』を明らかにすることを大切にすることをオススメします。
『理』とは、いわば『仕組み』です。
先ほどの例ですと、
そもそも、
①なぜあげたいのか?
②なぜあなたなのか?
③なぜスイカなのか?
です。
知人がスイカを嫌いな人だったとしても、それは『③なぜスイカなのか?』だけの話で、さらにそこには何か『理由』があるはずです。
人は『理由』を知れば、『怒り』は自然と静まる生き物ですので、それだけでも争いは避けられますが、さらには①、②の理由まで聞けば、それはもう『喜び』さえも沸いてくることでしょう。
このように、
私の『人生哲学』としましては、
『感情』よりも『理』を重視します。
今回は以上です。