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【特別公開】一人暮らしの歳時記 4月

【注意】この記事は、自由炊事党機関誌「自炊のひろば」第3号に掲載されるはずだった(が諸々間に合わなくて発行中止になってしまった)記事を、特別に公開するものです。都合により予告なく公開範囲を変更しまたは公開を取りやめる場合がありますので、ご了承ください。

一人暮らしの歳時記

自炊で感じる季節のうつろい

秘書 はしも

「丁寧な暮らし」という言葉が、最近ネットで目につく。手間暇かけて料理を作ったり、お気に入りの洋服にちゃんとアイロンをかけたり、すっきりきれいに片付け、ときには小物を自分で作ってしまったり……雑誌に出てきそうな暮らしのことだろうか。
私は「丁寧な暮らし」とは無縁の生活を送ってきた。家に遊びに来た友人が、開梱しないまま積まれている段ボールの山を見て「生活する場所ではない」と呆れたこともあるほどだ。掃除も洗い物も、できればしたくない。家は物であふれ、散らかっている。
でも、美味しいものだけは楽しみたい。四季それぞれに美味い物があり、通年手に入る食材であっても旬のものが一番美味しくて栄養価が高いという(それに、安い)。決して丁寧とはいえない邪道レシピや手抜きアレンジ上等な、一人暮らしの自炊でもできる食の歳時記をまとめたい。

4月

タケノコ──前書きにかえて

一人暮らしをはじめて3年くらい経った春のことだろうか、スーパーで急に筍が目に飛び込んできて、あんなに大きいのに700円くらいでいいのか、と驚いた。水煮のタケノコはにおいも味も苦手で、櫛のような筋の間に挟まったカルシウムの結晶を見るたびにげんなりしていた。でもタケノコ自体は好きだから、これなら家でもタケノコが食べられるのかと思い、買ってみた。
家に帰ってレシピサイトをみると、予想以上に時間がかかることに驚いた。でもやるしかない。仕方なく家で一番大きな鍋で茹でて、一晩待った。自分で下ごしらえしたやりがいもあって美味しく感じたが、一人でタケノコ1本は意外と使い道に困ってしまう。若竹煮、筑前煮、タケノコご飯。一通り試してまだ余ったから、わざわざ自分で茹でたタケノコでやらなくても……と思いながらタケノコたっぷりの青椒肉絲にした。
あれから何年か経って、タケノコ掘りに誘われた。竹は生命力旺盛で、一晩に数十センチも伸びて、家の床下から生えてきたら床を突き破ってしまうこともあるのだという。竹は根が浅く、竹がはびこってしまうと地面がゆるくなり、土砂崩れの被害を大きくする。裏山を持つ人にとって、竹の処理は死活問題なのだ。そんな背景を知りながら、僕はなんの役にも立たなかった。遅れて参加したころにはあらかたタケノコを採りつくしていて、ネコ(手押しの一輪車)いっぱいに土がついたままのタケノコが積まれていた。
食べきれない量なのは明らかだったから、お言葉に甘えて4本ほどもらうことにした。とってすぐのタケノコは生で食べても美味しい。あのシャキシャキした食感と爽やかなほろ苦さは素晴らしかった。
宿に戻ってしばらく休んで、1本皮をむいて、水だけで茹でた。ほんの数時間の違いで大分アクが出てきてしまったが、よく茹でれば刺身で食べられた。ほろ苦さがガツンときて、日本酒がよく進む味わいだった(同行者にはアクがきつすぎて、トラウマものだったらしい。人の味覚はそれぞれである)。
家に持って帰ってさあどうしよう、と思いながら、鍋に押し込んで無理やり3本茹でて、食べきれないものは冷凍した。
それからさらに何年か経って、2020年の春はタケノコが値崩れしていた。隔年で収量がかわるというタケノコの表年にあたり、コロナ禍で飲食店の需要が減ったからだそうだ(詳しい内容は『自炊のひろば vol.2』をご覧いただきたい)。巨大なタケノコを2本茹でようとして、鍋からはみ出た部分は苦くて食えたものではなかった。欲深い自分を反省した。

タケノコ

あれだけ面倒で、一人暮らしでは1本でも食べきれないのに、春がくるとタケノコを買ってしまう。実はこのエッセイを書こうと思ったのも、そういう「季節のもつ力」が食に宿っているのではないかと思ったからだ。他の食材たちも、僕にとっては「食べずには季節を越せない」と思わせる力をもっている。

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