隈研吾の『負ける建築』は、建築についてのこれからの考え方を提案するものです。その内容をまとめます。
1.はじめに
筆者は建築が最初から脆いものであることを指摘します。石を積み上げる建築は、人間の視覚的欲望によって高く積み上げられてきましたが、これには問題があります。筆者は、「負ける建築」というタイトルを通して、視覚や私有欲に頼らない新しい建築の可能性を探ります。
2.切断、批判、形式
➤建築の問題点
①大きさ:建築物は非常に大きく、その存在感が目障りになることがあります。
②物質の浪費:建築は大量の物質を使うため、地球の資源を浪費します。
③取り返しがつかない:一度建てられた建物は簡単に壊せないので、嫌な建築物が長期間存在し続けることになります。
➤切断から接合へ
筆者は、建築が周囲の環境と切り離されて孤立していることを批判し、建築とその周囲を一体化させる「接合」という新しいアプローチを提案します。
例えば、土を固めて建物を作るアドベ(泥レンガ)工法の再評価を提案し、建築が物質の循環の一部になる可能性を探ります。また、建築が少しずつ変化し続ける木造建築のような時間的な接合についても考えます。
3.透明、デモクラシー、唯物論
➤近代建築の失敗
近代建築は、異なる空間を統合することに失敗しました。筆者は、透明性が欠如し、セキュリティー管理が現代社会の空間を支配していることを問題視します。
また、メディアが民主主義を破壊し、ファシズムがその極端な例であると述べます。
モダニズム建築は科学と工業を通じて建築を民主化しようとしましたが、コンクリートがその過程を遅らせたと批判します。
➤日本の文化の空洞化
日本では、文化的な中心が空洞化し、中心に対する反発から豊かで独創的な文化が形成されてきました。筆者は、場所と存在の一致が例外的な現象であり、近代都市計画の誤りであると指摘します。資本主義のもとでは、都市のヒエラルキーが静的であるべきという前提が誤っていると述べます。
Ⅲ ブランド、ヴァーチャリティー、エンクロージャー
➤ブランド建築の批判
現代建築はブランド依存に陥り、公的主体から私的主体への転換が建築家の苦境を招きました。グローバリゼーションの初期段階ではブランドが支配的であり、ブランド建築が社会的信用を確立しましたが、これが建築家の創造性を奪ったと筆者は批判します。
➤エンクロージャーの問題
筆者は、エンクロージャー(囲い込む空間)が外部に対して閉じ、内部で透明性を持つ空間を作り出すことを指摘します。資本がエンクロージャーを建設し、テーマパークがその代表例です。
エンクロージャーの膨張が金融システムの破綻を招くとし、エンクロージャーとは対極の建築を提案します。都市に対して無防備に開かれた小さな建築を目指すべきだと述べています。
Ⅳ.本書のおわりとして
筆者は、建築がシェルターとしての役割を果たし、視覚的欲望に従って高く積み上げられてきたことを総括します。しかし、現代の膨張する世界において、建築はその役割を果たせなくなり、経済や政治の方策も有効性を失っています。筆者は建築が閉じたエンクロージャーではなく、都市に対して開かれた透明性を持つべきだと結論付けます。
Ⅴ.最後に
以上、本書は、従来の「強い建築」から脱却し、「負ける建築」を提案することで、建築の新しいあり方を提示しています。筆者は、視覚的欲望に依存せず、環境と一体化する建築の可能性を探っています。また、建築が社会や環境に与える影響を再評価する重要な視点を提供しています。