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書籍紹介 田坂広志『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』

 本書では、量子科学の最新理論を基に「死後の世界」や「意識」の本質を探っていきます。著者からは科学と宗教の深い溝に橋を架け、両者の融合を目指すといった大きなビジョンが示されています。

1.「科学」と「宗教」の間にある深い谷間に、「新たな橋」を架ける 
 
著者は、序話で本書の目的として、「「科学」と「宗教」の間にある深い谷間に、「新たな橋」を架けること。」(P37)としています。著者はこの橋が新たな理論、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」に基づいて構築されるべきだと主張します。

2.「死後の世界」を信じるか
 
多くの現代人が「死後の世界」や「神仏の存在」を信じたいが、現代の科学がそれを否定しているために半信半疑になっている現状を論じます。現代の科学が「最大の宗教」となっている状況が、信仰と科学の間の矛盾を生み出していると指摘します。

3.現代の科学が直面している限界 
 
第二話では、現代の科学が直面する「三つの限界」について述べています。その一つとして、「意識」の本質を説明できないことが挙げられます。著者は、光子の「粒子と波動の二重性」に象徴される量子科学のパラドックスを紹介します。

その象徴的な例が、素粒子の一つである「光子」が示す「粒子と波動の二重性」である。
 これは、量子科学の教科書レベルでも、良く紹介される性質であるが、光の実体、すなわち「光子」は、観察の方法によって、「粒子」の性質を示すときもあれば、「波動」の性質を示すときもある。すなわち、光子というものを「極微の物質」であり「極微の粒子」だと考えても、実際には「波動」としての性質を示し、「物質」として、その「位置」を測定することさえできないのである。
 これは、量子科学の創世期に、アルベルト・アインシュタインやヴェルナー・ハイゼンベルクを始めとする多くの科学者を悩ませた「粒子と波動に二重性」の問題であり、現在も、量子科学の根本にある「パラドックス」とされているものである。

出所:本書(P57-59)

著者はさらに、「唯物論的科学」が持つ限界についても言及します。

 このように、現代の科学である「唯物論的科学」や「物質還元主義的科学」が立脚する「物質」という存在は、実は、極めて曖昧な存在であり、むしろ、現代の最先端科学は、この世界の本質は、「物質」ではなく、「波動」であり、「エネルギー」であることを明確に示しているのである。
 これが、現代の科学が直面する「物質消滅」という限界に他ならない。

出所:本書(P60)

 むしろ、現在、最も注目されているのは、「そもそも『物質』そのものが、極めて原初的な次元で『意識』を持っているのではないか」という仮説である。
 すなわち、ルネ・デカルト以来、当然と考えられてきた、「物質」と「意識」というものを対立的に捉える考え方ではなく、むしろ、「物質」の根源的構成要素である、量子や素粒子そのものに、極めて原初的な次元の「意識」が根源的構成要素である、量子や素粒子そのものに、極めて原初的な次元の「意識」が備わっているという考えである。

出所:本書(P65)

4.なぜ、人生で「不思議な出来事」が起こるのか
 
第五話では、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」を詳細に説明し、このフィールドが宇宙のすべての情報を記録していることを論じています。

「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、一言で述べるならば、この宇宙に普遍的に依存する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が「記録」されているという仮説である。

出所:本書(P116)

 しかし、「ゼロ・ポイント・フィールドは、この宇宙のすべての情報を、記録を、記録している」ということを述べると、あなたは、その壮大さに戸惑い、荒唐無稽と感じられるかもしれない。
 ただ、先ほど述べたように、「量子真空」とは、そもそも、この壮大な宇宙を生み出した場であり、無限のエネルギーを宿している場なのである。そのことを考えるならば、「ゼロ・ポイント・フィールドが、この宇宙のすべての出来事の情報を、記録している」ということは、決して荒唐無稽な仮説ではない。

出所:本書(P127-128)

 また、宗教的な概念との類似性にも触れ、仏教の「阿頼耶識」や古代インド哲学の「アーカーシャ」との共通点を示します。

 ちなみに、「宗教」の世界では、不思議なことに、この「ゼロ・ポイント・フィールド」と極めて似たビジョンが、遥か昔から語られている。
 例えば、仏教の「唯識思想」においては、我々の意識の奥には、「末那識」と呼ばれる意識の次元があり、さらにその奥には、「阿頼耶識」と呼ばれる意識の次元があるとされており、この「阿頼耶識」には、この世界の過去の出来事のすべての結果であり、未来のすべての原因となる「種子」が眠っているとされている。
 また、「古代インド哲学」では、「アーカーシャ」の思想が語られており、この「アーカーシャ」とは、宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報が「記録」されている場であるとされている。

出所:本書(P129)

 そして、私たちの生きるこの世界には、「部分の中に、全体が宿る」という不思議な構造があるとし、これも、昔から、古い宗教的叡智や詩人の神秘的直観が、その本質を洞察しているとの指摘をしています。その例として、「例えば、仏教の経典『華厳経』においては、「一即多 多即一」の思想が語られており、英国の神秘詩人、ウィリアム・ブレイクは、「一粒の砂の中に、世界を見る」という言葉を語っている。」(P133)という一致点を紹介しています。

さらに、科学と宗教の一致点を紹介します。

 こうしての述べてくると、「科学」と「宗教」の間に、不思議な一致があることに気がつく。
 なぜなら、仏教の経典『般若心経』においては、「色即是空、空即是色」と語られており、この「世界」(色)は、すべて「真空」(空)から生まれてきたと述べているからである。
 また、キリスト教の『旧約聖書』、天地創造を語った「創世記」の冒頭の一節は、「神は『光あれ』と言われた」と書かれており、神がこの世界を創ったとき、最初に「光」(光子)が生まれたと述べているからである。

出所:本書(P192)

 そして、もし、「古代の宗教」が、この宇宙の真実の姿を、「最先端の科学」が発見する遥か以前に、直観把握しているのであれば、この「空即是色」や「光あれ」という言葉だけでなく、我々が思い起こすべき古代の宗教の教義が、二つある。
 それが、先ほど述べた、「仏教の唯識思想」が語る「阿頼耶識」の思想であり、「古代インド哲学」が語る「アーカーシャ」の思想である。
 この二つの思想は、いずれも、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」に極めて似た思想を語っているが、仏教やインド哲学という古代の宗教もまた、「この宇宙のすべての情報が記録されている場がある」と述べていることは、単なる偶然ではないと思われる。

出所:本書(P193)

5.フィールド仮説によれば「死後」に何が起こるのか
 
第八話では、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」が死後の意識の変化について新たな視点を提供します。著者は、肉体が死滅した後もゼロ・ポイント・フィールドに記録された我々の意識の情報が変化し続けると述べます。

 これが死後、我々の意識がどうなっていくのかについての筆者の考えであり、肉体の死後、我々の意識は、その中心をゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」に移し、生き続けていくと考えている。

出所:本書(P210)

 さらに、この仮説が示すところによれば、我々の意識は「深層世界」と呼ばれるフィールド内で永続的に存在し続け、変化し続けるとのことです。

 そして、この「現実世界」と「深層世界」の関係と全く同様に、やはり「波動情報」という観点から見るならば、ゼロ・ポイント・フィールド内には、「現実世界での私」と全く同じ、「深層世界での私」が存在しているのであり、言葉を換えれば、「現実世界」を生きている「現実自己」に対して、「深層世界」を生きている「深層自己」と呼ぶべきものが存在しているのである。
 すなわち、この「深層自己」は、「現実自己」と全く同じ「肉体の情報」と「意識の情報」を持っており、それも、過去から現在に至る「すべての情報」を持っているのである。

出所:本書(P207-208)

6.最後に
 終話では著者は「科学」と「宗教」の融合を二一世紀の目標とし、人類全体の意識の変容と価値観の転換が求められていると説きます。さらに、科学者と宗教家が手を取り合い、新たな文明の創造に向けて努力することの重要性を強調しています。

「それは、言葉を換えれば、「科学的知性」と「宗教的叡智」が結びついた「新たな文明」を生み出していくことでもある。
 もとより、この「科学」と「宗教」の間に「新たな橋」を架ける営みは、そして、「科学」と「宗教」が融合した「新たな文明」を生み出す営みは、一朝一夕に行えるものではない。それは、これから、二一世紀の数十年の歳月をかけ、科学者と宗教家が手を取り合いながら進めていく営みとなるだろう。
 このささやかな書がめざしたものは、その営みの「端緒」を開くことであり、これから数十年の、科学者と宗教家の方々の歩みの「道標」を示すことである。

出所:本書(P339)

 そして科学技術者であり、また思想家でもある立場から、「科学者の方々には、かつて、『沈黙の春』の著者、レイチェル・カールソンが語った「センス・オブ・ワンダー」(不思議さを感じる力)を大切にして頂きたい。」(P340)とも述べ、科学が未解明の不思議な現象に対する好奇心を持ち続けることの重要性を示しています。
 以上、本書では、著者のビジョンである科学と宗教の調和、未来の新たな文明創造の道筋とするための道標となるものが示されました。本書を通じて、私たちは「死」という概念や「意識」の本質に関する新たな考察の機会を得ることができるでしょう。


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