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蕎麦屋と純喫茶を巡る下町散歩

 僕はほぼ月イチで街歩きをしている。事前に散歩する街だけを決めて、事前リサーチをせずに五感をフル活用しながら街歩きをするのだ。

 この"会"は今年で10年目を迎え、先日で70回となった。いつも街歩きに付き合って下さるのは僕の9歳上の方である。彼もまた趣味人で、新聞の号外収集、ドキュメンタリー映画のほか、幼少期には地図が好きすぎてゼンリンに手紙を書いたことがあるらしい。

 業界も年齢も異なる"友人"との出会いは2012年の横浜・関内。僕は当時、まちづくりや地域メディア、シェアオフィスの運営を行うNPOで高校時代から10年ほど活動していて、イベントの現場やネット配信メディアの記事執筆などを行っていた。そこに仕事で関わっていた彼をNPOの理事が紹介してくれたのだ。

 2018年には彼を含む大勢と北朝鮮を訪問している。その動機や内容は気が向いたら投稿するが、初対面に近い時期に僕が「北朝鮮に行きたくて…」と言ったらなんと彼は既に訪朝経験があり、その場でPCを開いて自ら撮影したマスゲームの動画を見せてくれた。

 そんなヤバい方と街歩きをすると、自分では気にも留めなかった街中の様々なものへの気付きがある。
 例えば、送電線の高圧鉄塔の形状だとか、道幅の違和感からここは暗渠上かもしれないとか、被差別地域の名残とか、自由民権運動の盛んだった地域だとか、庚申塔や道祖神があるとか、こんなところにマニアックな通信社があるとか、号外の入手方法やインタビューに答えてもらうコツ(彼の前職は某局の記者)まで、ただ生きていく上では必要のない知識がたくさん付いた。

 そう、最初は都築響一の「東京右半分」に憧れ、まさに東京23区の右半分である北区、足立区、葛飾区、荒川区、江戸川区、墨田区、江東区、台東区あたりの下町を散歩するところから始まった。

 ただ味のある古くからの街を歩くのが目的だが、そのうちに「昼は必ず蕎麦屋に入る」そしてまた散歩を続け「おやつの時間に純喫茶」がいつものお決まりになった。
 面白いことに、情緒あふれる昔ながらの街にはほぼ必ず古くからの蕎麦屋がある。住宅地にポツンと現れたと思うと、その辺りが旧街道だったり、歴史的に見るとそこで商売を営む必然性が感じられることもある。

国分寺そば(東京右半分ではなく海老名市)の天せいろ

 一方、純喫茶というのは住宅街にはなく、駅の規模を問わず駅前か商店街の中心、またはオフィス街のど真ん中に存在する。この辺りの感覚は街を歩くうちに自然と身に付き「蕎麦屋は東口にありそうですね」「純喫茶はこの辺りにありそうな気がしますね」という謎の会話を繰り広げるようになった。

 ちなみに蕎麦屋では必ず天ざる(天せいろ)を注文する。そば自体も一般的に流通している工業製品のようなものもあれば、街中の蕎麦屋にも関わらず手打ちであったり、様々である。天ぷらもその種類や、何を入れてくるのか、値段の割りに大海老が2本で驚いたり、締めの蕎麦湯にも白く濁ったものから無色透明まで、意外と奥が深いものである。

 純喫茶にも特徴がある。食事が充実している店、お酒を出す店、喫煙の可否、客層、置いてある雑誌や新聞の種類、椅子や机の形状、壁画、照明器具の感じまで様々である。この辺りも整理し思い出の純喫茶も綴っていきたいが、まずは写真整理からだ…。

イトーヤコーヒーショップ(目黒)

 これまでこの街歩きだけで蕎麦屋に56件、純喫茶に66件入ったが、惜しくも閉店してしまった店もある。日付、入った店、訪問場所などは記録しているが、今思えばどうして毎回の街歩き記録を文章で綴ってこなかったのか、70回目を迎えて少し後悔している。

 どこかに話題をフォーカスして執筆したいと思って書き始めたものの、記事2本目ではまだまだ自己紹介の域を超えられない。noteの機能も模索中で「マガジン」を作るところにすら至っていないが、まだまだ序章だと思ってお付き合いいただきたい。
 北朝鮮に行った話も、バスを買った話も、10周年を迎える「しでんの学校」の話も、在野研究の話も、語り尽くすには些か趣味が多すぎるようだ。

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