近藤譲の先にある曖昧 山本裕之の室内楽作品を聴く
11月1日。山本裕之作品個展「境界概念」のリハーサルに立ち会った。
かつて近藤譲は「自分の音楽は関係性がすべて」と語った。近藤の作品に短九度は頻出するが、短二度がほとんど書かれないのはなぜか?同じようにドとレ♭(ド#)が作る音程関係で、違いは間に1オクターブ挟むか否かだ。近藤によると、短二度、つまり半音の音程で二音がぶつかると、相互に強く干渉し、それゆえに各音のピッチが不明になる。ピッチが不明になると相互の関係性の取りようがない。だから、(あまり)書かない、と。
だが、山本裕之は、相互の音の関係性をあえて曖昧にする瞬間をこそ求めている。それは、音と音との関係性を常に明晰に保つ師:近藤譲には決してきかれない傾向だ。
関係性を曖昧にするとはいっても、図形楽譜のような不確定性の高い記譜をしたり、クセナキスのように大量の情報をばらまき一つ一つの関係性を相対的に小さくしたり、ということではない。山本の作品においては、しばしば4分音が、その曖昧さを引き出すための鍵となる。たとえば、アルトサクソフォンとバスクラリネットのために作曲された、《境界》(2021)という作品を見てみよう。この作品において、2つの楽器は4分音、つまり半音の半分の音程で激しく干渉する。のみならず、ある時はアルトサックスがバスクラリネットより4分音だけ上に、次の瞬間は入れ替わってバスクラリネットが上に、と配置の入れ替えも頻繁である。
半音での干渉でさえ不明になるといわれるピッチは、4分音の干渉で徹底的に霧散してしまう。それは、スコアを読みつつ聴いていても、どちらがどちらの音を吹いているか、にわかには判別がつかないほどだ。それぞれのピッチはわからず、2音がつくる強烈なうなりの存在感が前面に出てくる。
それゆえに、「記譜上は2音の関係性が厳格に記されているにも関わらず、聴覚的にはそれらの関係がわからない」という状態が生まれる。こうして生まれた「曖昧」という素材を、いかに時系列に配置していくか。「曖昧」を際立たせるに相応しいリズムは何か、形式は何か、確固たる繰り返しより、繰り返しのたびにどこかが変化するような擬周期性が相応しいのではないか。究極的には、「曖昧」にふさわしい音楽のナラティヴィティ(語り口)をどうやって獲得していくのか。
今回、山本の近作を中心に7作品が演奏されるが、素材となる「曖昧」の種類も、それを処理するスタンスも様々だ。一ついえるのは、それらの方法の数々に、袋小路に入った(などといわれる)現代の音楽にとって、大変貴重な示唆が幾つも含まれている、ということだ。
ケージのあとに近藤譲がいたように、近藤譲のあとに山本裕之がいる。では、山本裕之のあとには?音楽の可能性とは、先行者が捨てた可能性を展開することでも拓かれる。その確認のためにも、11月6日には、ぜひ杉並公会堂へお出で下さりたい。
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山本裕之作品個展「境界概念」
日時:2024年11月6日(水)19:00開演
会場:杉並公会堂小ホール
料金:
【一般】3,000円(前売)/3,500円(当日)
【学生】1,500円(前売)/2,000円(当日)
チケット取り扱い(Peatix)
https://boundaryconcepts.peatix.com/
お問い合わせ
kitakaikisen.music@gmail.com
<出演>
丁仁愛 flute
岩瀬龍太 clarinet
中川日出鷹 bassoon
小澤瑠衣 saxophone
高野麗音 harp
山田岳 guitar
迫田圭 violin&viola
北嶋愛季 cello
<映像作品出演>
加藤和也 saxophone
<プログラム>
全曲 山本裕之作品
讃歌 Anthem(2022/23・映像版初演)
太平洋 L’Oceano Pacifico(2015/24・編曲版初演)
葉理 Lamina(2018)
水平線を拡大する Expanding the Horizon(2024・初演)
ダンシング・オン・ザ・スレッショルド Dancing on the Threshold(2024)
境界 Boundary(2021)
シュリーレン聴取法 Schlieren Listening(2024・初演)