石塚潤一

(音楽)批評家。2002年度柴田南雄音楽評論賞奨励賞。現代音楽を中心にクラシック、映画、などについて執筆。、読売新聞、音楽現代、ミュージック・マガジン、ユリイカ別冊などに寄稿。

石塚潤一

(音楽)批評家。2002年度柴田南雄音楽評論賞奨励賞。現代音楽を中心にクラシック、映画、などについて執筆。、読売新聞、音楽現代、ミュージック・マガジン、ユリイカ別冊などに寄稿。

最近の記事

山本裕之の音楽はなぜ実演で聴かれるべきなのか

現代音楽は出来るだけ良い録音で聴け、と常々力説してきた。演奏の話ではない。もちろん演奏が良いのに越したことはない、が、今言うのは録音の質の話である。できればハイレゾが良い。ただ、超高級一眼レフカメラを使ってもピンぼけの写真が撮れるように、ハイレゾでもボケボケの録音になることはあるから、ハイレゾである、という以上に、性能の良いマイクを耳のいいエンジニアがセッティングした録音で聴くべきだ。 特に、打楽器アンサンブルやクラスターの音楽は、録音の質がわるいと、いたずらに聴きづらいも

    • 近藤譲の先にある曖昧 山本裕之の室内楽作品を聴く

      11月1日。山本裕之作品個展「境界概念」のリハーサルに立ち会った。 かつて近藤譲は「自分の音楽は関係性がすべて」と語った。近藤の作品に短九度は頻出するが、短二度がほとんど書かれないのはなぜか?同じようにドとレ♭(ド#)が作る音程関係で、違いは間に1オクターブ挟むか否かだ。近藤によると、短二度、つまり半音の音程で二音がぶつかると、相互に強く干渉し、それゆえに各音のピッチが不明になる。ピッチが不明になると相互の関係性の取りようがない。だから、(あまり)書かない、と。 だが、山

      • 映像に対して音楽/音ができること 鈴木治行<映像と音楽>室内楽個展への補遺

        ある映像作品が放送/上映されたとき、――それが映画かドラマかアニメかに関わらず――こんな無邪気な言葉を耳にする機会が増えた。「この映像にこの音楽は本当にぴったりだ」。クラシック音楽の演奏ならば、あるアプローチについて、「ああ、こう来たか」や「こういう方法があったか」と、表現者が様々な可能性の一つとして、一つの表現を選択していることを視野に入れた批評がなされるだろう。作曲に対する批評も同様だ。しかし、映像と音楽については、あたかも提示されたものが唯一解であるかのように受け取られ

        • 鈴木治行<映像と音楽>室内楽個展のご案内のようなもの

          10月22日に杉並公会堂小ホールで「映画の上映」会を行います。 上映されるのは、ドイツ表現主義を代表する無声映画監督F.W.ムルナウ(1888-1931)の『タルチュフ』(1926)と、日本の実験映画の草分け、飯村隆彦(1937-2022)の『Film Strips II』(1966-67)です。 「映画の上映」と書いたのは、その方がイベントの中身が良く伝わると考えたから。要するに、今回のイベントはまず、映画そのものをガッツリ見せる、本来映画館で開催される種類のものである

          モートン・フェルドマン「Trio」(1980)日本初演@静岡音楽館

          2007年9月にブログで書いた文章の再録です。 9月15日18:00 静岡音楽館 野平一郎が芸術監督をつとめていることから、静岡音楽館では都内でのホールでも見かけないような意欲的なコンサートが行われることが、たまに、ある。今回は高橋アキがマーク・サバット、ローハン・デ・サラムとともにモートン・フェルドマンの「トリオ」(vn,vc,pf:1980)を日本初演するというので、これは聴き逃せないと新幹線に乗って静岡まで出かけてきた。 サバットはジェームス・テニーに師事した作曲

          モートン・フェルドマン「Trio」(1980)日本初演@静岡音楽館

          リゲティ生誕100年記念レクチャーへの補遺

          リゲティ生誕100年(+1年)記念のレクチャー&コンサートに出かけてきた(15日@両国門天ホール)。 押しまくりの進行で質疑応答の時間がなかったが、可能だったら質問したかったのは、リゲティの諸作のなかでの「Ramifications」(1968-69)の位置づけ。この弦楽合奏曲は、弦楽器を2群に分け、片方を440Hz、片方を453Hzと、四分音違えて調弦される。調弦を変えても、ヴァイオリンやチェロにはフレットがあるわけではなく、奏者は合わせようとしてしまうわけで、リゲティ自

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          湯浅譲二 95歳の肖像 室内楽作品を中心に 曲目解説

          8月7日、豊洲シビックホールにて開催される「湯浅譲二 95歳の肖像 室内楽作品を中心に」の、湯浅譲二自身による曲目解説を集めました。一部楽曲には、楽曲音源へのリンクをつけております。 演奏会については、下記リンクをご覧ください。 ピアノ四重奏曲「ザ・トライアル」 Vn、Va、Vc+Pfという、伝統的、古典的な編成、つまり<古い革袋>にどう新しい酒<未聴感の音楽>をもるか、という難しい問題を一年以上の考えていたが、限られた時間の中でそれを遂行するのは困難と思え、それに兎も

          湯浅譲二 95歳の肖像 室内楽作品を中心に 曲目解説

          湯浅譲二《領域 Territory》の特異な指示について

          湯浅譲二の「領域」のクラリネットパートには、ソプラノサックスへの持ち替え指示がある。 この作品、初演を誰が吹いていたのか、と調べてみたら、宮島基栄(1933-2015)という名前が出てきて納得した。 日本のクラシカル・サクソフォンの歴史は、阪口新(1910-1997)という奏者によって始まる。しかし、芸大にサクソフォン専攻ができ、阪口が教官として迎えられたのは1953年。それまでは、クラリネットを専攻した奏者が、何かのきっかけでサクソフォンに転向する、という例が多かった(

          湯浅譲二《領域 Territory》の特異な指示について

          近藤譲個展(2023)チラシ宣伝文覚書

          「線の上の迷宮」 近藤譲の室内楽作品を聴く 「線の上の迷宮」。近藤譲の音楽を一言で表現するなら、このような言葉が相応しかろう。1973年以来、近藤譲は自らが「線の音楽」と呼ぶ方法論によって作曲を行ってきた。その説明はこのようなものだ。まず一音を置く。その一音目との関係を考慮し二音目を置き、この一・二音目との関係で三音目が、一・二・三音目との関係で四音目が置かれる。だが、話はそう単純ではないのではないか?線的に置かれた音/音響を、聴き手は順に辿っていくが、その配列には、聴き手

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          湯浅譲二 95歳の肖像 ~室内楽作品を中心に~ コンサート詳細

          この公演は、同月12日に開催される合唱作品個展と組になり、湯浅譲二の創作を俯瞰するものです。 合唱作品個展についてはこちら 湯浅譲二 95歳の肖像 ~合唱作品による個展~ 演奏会詳細|石塚潤一 (note.com) 湯浅譲二の室内楽作品は、その質に比してあまりにも演奏されていない、と考えています。これはなぜか、を考えるに、演奏が大変難しい、ということに尽きるのではないか。湯浅譲二は、電子音楽の創作を通じてその音楽性を涵養した人物であり、湯浅作品の難しさとは、第一に「電子音楽

          湯浅譲二 95歳の肖像 ~室内楽作品を中心に~ コンサート詳細

          湯浅譲二 95歳の肖像 ~合唱作品による個展~ 演奏会詳細

          この公演は、同月7日に開催される室内楽作品個展と組になり、湯浅譲二の創作を俯瞰するものです。 室内楽公演についてはこちら 湯浅譲二 95歳の肖像 ~室内楽作品を中心に~ コンサート詳細|石塚潤一 (note.com) 西川竜太は、2011年以降、湯浅譲二の合唱作品個展を5回に亘って開催している。 湯浅譲二の合唱作品もまた、器楽作品と同様に、その電子音楽で涵養された感性と本質的に結びついている。しかしながら、音響エネルギーの推移をグラフで制御する、ホワイトノイズによる「イコ

          湯浅譲二 95歳の肖像 ~合唱作品による個展~ 演奏会詳細

          篠原眞氏との会話

          篠原眞個展を行った翌年の2022年5月、ROSCO(甲斐史子、大須賀かおり)が渋谷の公園通りクラシックスにて篠原眞の<ソナタ>を演奏。会場まで車で篠原氏をお連れすることになり、その車中での会話を書き留めておいたもの。主だった話は2021年の「篠原眞 室内楽作品による個展」でのインタビューで伺ったので、補遺的な話を。以下、太字は私、それ以外は篠原眞氏による発言。 この間、ジャンヌ・イスナール、安川加壽子両氏による、篠原さんの≪ヴァイオリン・ソナタ≫の録音を聴いたんですが、特に

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          福島和夫(1930.4.11-2023.8.19)さんについての追想

          福島和夫さんは、長らく自分にとって、「謎の作曲家」だった。1970年代のはじめに作曲活動を停止し、東洋音楽研究の音楽学者となったこともあり、演奏会場で姿をお見かけすることはなかった。目にするプロフィール写真は若いころの、光が眼鏡に反射して表情が読めないものばかりで、そのことが孤高の作曲家というイメージを増幅した。極端な人間嫌いゆえに隠棲してしまった、といわれれば、そうなのかなと納得させられる雰囲気も確かにあったように思う。 もちろん、フルート作品を中心とした作品集は何種かリ

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          鈴木治行の反復を糧に、スティーブ・ライヒの反復を再検討すること

          正直にいう。《18人の音楽家のための音楽》や《大アンサンブルのための音楽》、《オクテット》の頃のライヒには賞賛を惜しまない私だが、最近の作品はそんなに、、、だった。それでも、プログラムノートにも曲名を挙げた、近藤譲の《スタンディング》や、一柳慧の《ピアノメディア》を演奏するような、徹底的に醒めた視点で、ライヒの反復を捉え直してみると、近作の音風景も違って見えるかな、と考えた。 音楽的反復とは高揚をもたらすもの、と一般には考えられている。それでも、敢えて反復を醒めた目でみてみ

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          Steve Reich"2×5"(2008) The Rehearsal for Japan Premiere on December 7&8

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          真正のポストミニマル音楽を目指す スティーヴ・ライヒ作品の解説に代えて

          ポストミニマル音楽がとにかく苦手だった。 大阪万博(もちろん前のだが)の前年に生まれた筆者ゆえ、音楽における進歩史観を妄信できる世代ではもはやない。しかしながら、戦後前衛を彩った名作の、音楽が音楽として成立し得る境界線を探る気迫であるとか、そうした探求が際立った緻密さで裏打ちされている様であるとか、数々の驚くべき成果に比べ、ポストミニマルの音楽はあまりにも貧弱に思えた。 もっとも苦手だったのはマイケル・ナイマンだ。ミニマル音楽に関する著書もあるこの作曲家は、ちょうどジェー

          真正のポストミニマル音楽を目指す スティーヴ・ライヒ作品の解説に代えて