「妄想の肯定」は「妄想の否定」か?──山本浩貴(いぬのせなか座)が考える、「妄想」にまつわる二つの可能性
「いぬのせなか座」という制作集団・出版元を主催し、小説家、デザイナー、編集者、批評家など人文のフィールドにおけるさまざまな仕事をされている山本さん。今回「妄想」にまつわる原稿を依頼させていただき、二つの角度から語っていただきました。一つは、自分の「妄想」を捨てることなくかたちにし、それを社会に流通させてゆく表現者としての在り方、またそのような活動を持続的におこなってゆくための場について。もう一つは、言うなれば「妄想」を「妄想のままに留めない」方法を示した前者に対し、「妄想」を「妄想のままで肯定的に捉える」方法を探ってゆきます。どちらも「妄想」というテーマについて真摯に向き合っており、『妄想講義』に載っているどの文章を読む際にも参照できると思います。
今回の記事では、二つの角度のうち「「妄想」を「妄想のままで肯定的に捉える」」ことについての紹介を行いたいと思います。
山本さんが『妄想講義』に寄せてくださったこちらの問題提起は重要です。そして、この問いは少なくない他の原稿への問いかけとしても機能します。すなわち「現実的な課題解決の一助となったり、あるいは金銭的利益を生むような“生産性”を持たなければ「妄想」に価値があるとは言えないのか?」ということです。
「妄想」が肯定的に語られるとき。そのもっともスタンダードなかたちは「いっけん非生産的に見える「妄想」が、現実になにかをもたらす生産的な役割を果たす」というものです。つまり「最終的には「妄想」の域を超えるからこそ、「妄想」が評価される」ことになっている。山本さんは、このねじれた構造へ「これで良いのか?」と問いを投げかけます。
ここから興味深い議論が展開されていくわけですが、なかでも山本さんによる「妄想の定義」は「なぜ「妄想」は想像や空想ではなく「妄想」なのか」という、根本的な問いにもスッキリと答えたものになっています。きっと、誰もが「あ〜」と納得できるはず。
ぜひ、その内容は本文でご確認ください!!!!!
9月30日発売『妄想講義 明るい未来の描き方と作り方』は絶賛販売中です!
*
金風舎のネット書店「金風舎DCH」にて、山本さんの記事のみ読むこともできます。
金風舎のインディペンデントなネット書店
「金風舎DCH」とはどんなものなのかは、以下の記事をご覧ください!
『妄想講義』の企画編集をする
「次世代の教科書」編集部もよろしくお願いします!
編集部メルマガもやっています。編集部の思いや企画制作の裏側を発信中!