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鬼として世に存在する──批評家・角野桃花が語る「生存のための批評」


本記事は、株式会社金風舎が9月30日に発刊する『妄想講義 明るい未来の描き方と作り方』の著者紹介記事です。職業も価値観も様々な24人の著者が、自分・仕事・社会・未来を自由に妄想します。


サブカルチャーを語り、社会との接地点を見定める。

角野桃花(すみの・とうか) 1996年生まれ。東京大学教養学部卒業。2021すばるクリティーク賞最終候補(「サブカルチャーの〈娘〉とその〈母〉と〈父〉――『キルラキル』を通じて)。第65回群像新人評論賞(「「ママ」をもう一度人間にするために――『約束のネバーランド』と『かか』において」)。大学卒業後は会社員をやる傍らで、アニメや漫画などのサブカルチャー作品をテーマに批評を執筆中。X:@taohuasumino

アニメや漫画などの、いわゆるサブカルチャーを読みこみ、新たな解釈へと開く──角野さんがやられているのは、そういった「批評」です。この営みについて、角野さんは冒頭でこのように説明しています。

「このキャラクターこそラスボスなのではないか?」「この描写は実は最終話の伏線だったのでは?」などの作品考察を書いていると思われることが多いのだが、それは少し違っている。私は、社会学であったり哲学であったり何かしらの理論とサブカルチャー作品を照らし合わせて、新しいものの見方や生き方を解釈し、それを文章にして世に出している。

角野桃花「死にたがりの「妄想」―鬼と共に生きて」

今回の「死にたがりの「妄想」―鬼と共に生きて」では、『約束のネバーランド』や『鬼滅の刃』といった作品と、そこに登場する「鬼」たちについてどのような解釈が可能かを示しつつ、角野さん自身が「私にはなぜ批評が、虚構が、物語が──すなわち、「妄想」の力が必要なのか」についての語りを綴っています。

この社会は「普通」であることを求める。そして「普通」に生きるための道筋や、上手いやりかたは確かに示されている。けれども「普通」でいられない存在のためのそれは、用意されていない……少なくともわかりやすい形では。それでは「普通」ではない存在が、無理やり「普通」に身体を合わせ続けることなく生きていくためには、なにをよすがにすれば良いのか。そこで角野さんは「批評」や「物語」といったものに可能性を認めています。

私がアニメや漫画などの作品に没入し、己の「妄想」する力を駆使して解釈を生み出し批評を書くことは、「おまえは存在してはならない」というメッセージを私に突きつけてくる現実の社会に出ていくために必要な営為なのだ。

角野桃花「死にたがりの「妄想」―鬼と共に生きて」

そのような営為を、具体的にはどのような手つきで行うのか、そしてそれが生きることとどのように繋がるのか。そして「鬼とともに生きる」とは、なんなのか。それがよくわかる文章になっているはずです。ぜひ、本編をお読みください。

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