鬼として世に存在する──批評家・角野桃花が語る「生存のための批評」
サブカルチャーを語り、社会との接地点を見定める。
アニメや漫画などの、いわゆるサブカルチャーを読みこみ、新たな解釈へと開く──角野さんがやられているのは、そういった「批評」です。この営みについて、角野さんは冒頭でこのように説明しています。
今回の「死にたがりの「妄想」―鬼と共に生きて」では、『約束のネバーランド』や『鬼滅の刃』といった作品と、そこに登場する「鬼」たちについてどのような解釈が可能かを示しつつ、角野さん自身が「私にはなぜ批評が、虚構が、物語が──すなわち、「妄想」の力が必要なのか」についての語りを綴っています。
この社会は「普通」であることを求める。そして「普通」に生きるための道筋や、上手いやりかたは確かに示されている。けれども「普通」でいられない存在のためのそれは、用意されていない……少なくともわかりやすい形では。それでは「普通」ではない存在が、無理やり「普通」に身体を合わせ続けることなく生きていくためには、なにをよすがにすれば良いのか。そこで角野さんは「批評」や「物語」といったものに可能性を認めています。
そのような営為を、具体的にはどのような手つきで行うのか、そしてそれが生きることとどのように繋がるのか。そして「鬼とともに生きる」とは、なんなのか。それがよくわかる文章になっているはずです。ぜひ、本編をお読みください。
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