和歌心日記 2 参議等
浅茅生の
小野の篠原
しのぶれど
「そりゃ彼氏くらいいるわな」
山脇聡史はひとりごちた。
山手線の曇った窓からぐずついた雲が見える。
山脇は恵比寿で電車を降り、肩を落として恵比寿のオフィスに向かった。
***
あの子に会ったのは一ヶ月前。昔よく通った六本木のオカマバーだった。
山脇は普段大手ビールメーカーの報道対応を行なっている。
新製品のプレスリリースから役員人事、不祥事の記者会見など仕事は多岐に渡る。
最近ではSNSの炎上をうまく沈める仕事も増えている。
このバーは10年ほど前、まだ山脇が宣伝部にいた時に、クリエイティブを請け負う代理店の営業局長と映像制作会社の社長と共に来た。
あの頃山脇は合コンに明け暮れ、反省会をしに良くここに寄った。たまにはいい感じになった女子を連れてきたこともあった。懐かしい、そして輝かしい時代だ。
一ヶ月前六本木で仕事を終えた帰り、懐かしい気分で、久しぶりに寄ってみた。
「いらっしゃい。あら久しぶり。珍しいこともあるもんね」
「え?ああ、ご無沙汰してます」
「よお!ワッキー」
よく見ると奥のソファに映像会社の社長の畠田が座っていた。
「あれ!畠田さん、お久しぶりです!」
「はたさんでいいよ。いや、なんか今日はさ、なんだか懐かしい人に会えるような気がしてたんだ。虫の知らせってやつかな」
などと言う。ママの言葉に合点がいった。
「一緒に飲めば?」
ママが促す。
「おお、ワッキー一杯飲もうよ。それと、紹介しておきたい人もいるし」
そう言うと奥のトイレの扉を目配せする畠田。扉が少し空いている。誰かが電話しているようだ。
山脇が畠田の対面に座る。
そこにトイレから目の覚めるような美人が出てきて、畠田の隣に座る。
スラリと長い脚に膝までの黒い皮のブーツ。ホットパンツのような短いパンツを履いて太腿は大胆に曝け出している。真っ赤なセーターに革のジャケットを着ているが、そのプロポーションは革のジャケットでは全く隠せていない。むしろスタイルの良さが強調されている。
間違いなく"その筋"の女性だ。
相変わらずこのおやじはいい女を連れている。
「茜ちゃん、今売り出し中なんだ」
「檜山茜です。はじめまして」
「初めまして。山脇です」
「ワッキー、なんかあったら是非使ってあげてよ」
「あ、はい」
「茜ちゃん、この人は大手飲料メーカーのエリートだから。愛想よくしておこう、なんちゃって」
「はい、わかりました。山脇さん、よろしくお願いします!」
そう言うとニコリと笑う。その顔が営業スマイルだとわかっていても、こんな美人から笑いかけられて無表情を貫けるほどタフな自分ではない。
「と言っても、今は報道対応がメインなので、昔ほどの力はありませんよ」
「なんだそうなの?」
「ええ。まぁ宣伝部には何かの折に言っておきます」
嘘だ。これも挨拶のようなもんだ。
しかし、こういう出会いがチャンスに繋がることもあるのもまた事実だ。
「なんて言うメーカーなんですか?」
「なんだと思う?」
「ヒントは?」
「どこまでもドライに行こう、ゲットレディ?」
ポカンとしている茜。
「わかんないよね、古くて。10年前のコピーだからな」
「お。いつまでも覚えてるね。俺は好きだよ。なんたってCMは俺が作ったんだからな」
「あ、わかった、ライオンズビールさん?」
「正解、簡単だったね」
「そのコピー聞き覚えがあります」
ホッとする山脇。
「ママ、レモンソーダ3つ」
畠田が注文を取る。
「はーい」
ママが野太い声で返事をする。
「いらっしゃーい。何人?」
新たな客が入って来た。盛況のようだ。しかし、その客が全員茜を一瞥する。そりゃそうだろう、こんな美人、世の中なかなかお目にかかれない。
「で、今もエリート街道走ってるの?」
と畠田が聞いてくる。
「いや、まぁどうでしょう」
はぐらかしてみるが、報道対応のセクションは責任が重大で、ある程度各セクションをこなしてからでないと配置されない部署であり、コースに乗っていることは乗っている。
しかし、守りはあまり得意ではなかった。それにあの頃の情熱は自分にあるだろうか。手放しでは喜べない。難しいところだった。
「はい、どうぞレモンサワー」
いいタイミングでママがドリンクを持ってきた。この話は流そう。
「乾杯!」
グラスの当たる鈍い音がした。
少し甘めのレモンサワー。上から少しグレープフルーツジュースを入れている。そこが面白いところだった。
「あ、飲みやすいこれ」
茜が少し赤い顔で言う。そんな表情もまた可愛い。
「今は何に出てるんですか?」
「深夜のスポーツニュースです。テレビカナヤの」
「あー、へー。レギュラー?」
「はい」
「それはいいですね。レギュラーがあるとないとだとだいぶ気持ちが違うよね」
「そうなんです。山脇さんはお詳しいんですか業界は」
「いや、ちょっとだけ」
「嘘つくなよ、だいぶ知ってるだろ」
クライアントとしてはかなり深くまで食い込んできた。その自負もあった。
しかし、それは過去の話だ。昔の杵柄を語るのは寒い。そして今はもう業界の話も社内では一切しなくなっている。
「あ、ごめんちょっと外してくる」
畠田は電話を持って外に出ていく。
取り残された2人。
さて、何を話そうか…。
「スポーツニュースなら、スポーツ選手の誘いも多いの?」
「はい、めっちゃめちゃ多いです」
「え、やっぱそうなんだ」
なんだ、そりゃそうか。わかっていたけど、突きつけられるとちょっとだけショックだ。
「スポーツ選手はやっぱりかっこいい?」
「んー、どうかな。私頭がいい人が好きなので、そこまで惹かれないんですよねー」
「そうなんだ、みんなだいたいそれ目的なのかも思ってたよ」
「めっちゃ誘ってき過ぎるし、ちょっと会話がなかなか」
「へー」
別に自分が褒められたわけではないが、少し嬉しい。
「じゃ経営者とか」
「うーん、どちらかといえばそうですね」
ふん、所詮金か。
そりゃそうだよな。人生投げ打ってこの業界に入るんだったらそれぐらいの果実がないとやってられないか。
「でも、変人も多いんですよねあの人たち」
「ああ、まぁそうだよね。ある意味同じか。一芸に秀でるとそうなるのかも」
「ですね。だから普通でもいいかも」
「お、じゃサラリーマンにもチャンスある?」
「え?うーん」
「なんだ。ないじゃん」
そう言って笑い飛ばした。
おじさんにもなって何を言ってるんだ俺は。
社内ではなぜ結婚しないのか?とか高望みが過ぎてるだとか、実はもう婚外子がいるだとか、好き勝手なことを言われている。
なので、あまり目立つ行動はしないようにしている。自分の危機管理ができていないと会社の危機管理なんてできるわけ…ま、関係ないか。
「エリートならいいかも、です」
「え?」
彼女は大きな瞳で山脇を見上げる。蠱惑的な表情にみるみる顔が赤くなる山脇。
「ママ、もう一杯!」
とっさに酒をお代わりする山脇。
「あたしも!」
く、付いてくるとはいい度胸だ。というより手だれか、手だれなのか!?
「はーい」
ママがすぐにレモンサワーを持ってくる。
山脇と茜は自然と乾杯してゴクゴクとレモンサワーを飲む。
彼女の小さな喉仏が動く。少し長めの髪をかきあげ片方に寄せ、うなじが見える。自然の動作なのだろうか、なんとも艶めかしい。それを横目でチラリと見る山脇。
いかん、この女おじさんをからかっているのか。
「美味しいですね、このレモンサワー」
「隠し味にグレープフルーツジュースを入れてるんだよね。だからふんわり甘くて爽やかになるんだよ」
「へー。いいですね。お酒はよく飲むんですか?」
「うん、まぁね。茜ちゃんは?強そうだけど」
「うーん、まぁまぁかな。食べるのも好きです」
「まぁまぁって言う人は大抵強いけどね。そんな痩せてるのに食べるの好きなんだ」
「普段は我慢してます。でも美味しいもの食べるのは好きです」
「へー、俺ももうこの歳だと、うまいものしか食べたくないな」
「いろいろ知ってそうですね。いいな」
「え?まぁね。今度行く?美味しいとこ」
「はい、是非」
嘘だ。罠だ。いや、おちょくられている。こんなおじさんと行くわけないよな。単なるサラリーマンだ。落ち着け。しかし、今チャンスなんじゃないか。畠田が外している。
「連絡先教えてもらっといていい?」
思い切った。断られるか?山脇!
「いいですよ」
嘘だろ。ほんとかよ!単なるサラリーマンだぞ!何のメリットもないぞ。いいのか檜山茜!
二人はラインを交換した。
山脇はまたレモンサワーを飲む。
「山脇さん、やっぱり自分のことエリートだと思ってますよね」
「え…」
「私わかるんです。昔占い勉強したから」
「いや、そんなことないって」
なんだ急に、その大きな瞳に見つめられると、全ての嘘が容易くバレてしまいそうだ。
「私は嫌いじゃないですよ、諦めていない人の眼」
「な、何言ってんるんですか檜山さん」
図星だ。急に丁寧語に戻るあたり、俺は狼狽している。しかし、確かに俺はまだ諦めていない。報道対応ではなく、もう一度プロモーションがやりたい。昔から守りより攻めが得意なんだ。そんなこと同僚にだって言ったことはなかったが…山脇はドキドキしていた。
「嘘です。そんな驚かないで下さい」
彼女はそう言うと不敵に笑った。
山脇は胸を撫で下ろす。
「でも、本当かも」
「え?」
なんだこの意味深な…何が本当なんだ?くそ、読めない。
そこへ、畠田が帰ってくる。
モヤっとしたまま話が終わってしまった。
「ごめん、ワッキー、クライアントに呼ばれちゃった。茜ちゃんと行ってくるわ。また今度ゆっくりね」
「あ、ええ」
茜は山脇とともに出ていく。忙しいのだろう。
「また宜しくお願いします」
そう言って畠田に見えないようにウインクする茜。ウインクは外国人しか似合わないと思っていたが、こんな美人なら似合うんだな、と改めて思った山脇だった。
帰り道、スポンと携帯の音が鳴る。ラインか。最近は広告ばっかりでうんざりする。
横目で開くと茜からだった。
『さきほどはありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。ご連絡お待ちしてますね』
嘘だろ。
本当に誘っていいのか。いや、これは社交辞令だ。何度も昔味わってきたじゃないか。しかし、今日の茜の顔が頭から離れない。
『また予定伺いますね。こちらこそありがとうございました』
返信して、山脇は大きくため息をついた。まるで中学生だ。
自宅への帰り道。空を見上げた。雲がかかって星は見えない。急に上の句のフレーズを思い出した。
浅茅生の
小野の篠原
忍れど…
だっけ、昔なんか覚えちゃったんだよなー百人一首。まるでおじさんの忍ぶ恋だな。はは。
自分の空虚な笑い声が空に吸い込まれていった。
***
恵比寿のオフィスに帰ってきた山脇は、たまたま開いたアプリの芸能ニュースで、
「檜山茜、タレントの○○と同棲か!?」
というタイトルに釘付けになった。
!?
「そりゃ彼氏くらいいるわな」
わかっていたが、がっかりする。
あんなにいい女、彼氏の一人や二人ぐらいいるだろう。
一人や二人…
いや、そんないるなら、俺だって可能性はあるか。いやいや、二番手か。今更二番手って…。ポジティブか!1人ツッコミを入れる山脇。
馬鹿げている。しかし、昨日のラインのメッセージを見ると心が浮き立つ。
「どうしたんですか室長、にやけちゃって」
部下に急に聞かれる。
「え?ニヤけてる?」
「はい」
「いいことあったんすか?」
「まぁ、な。あ、いやまだだな」
「なんすか?それ」
「あ、いやこっちの話。そんなことより明日の会見原稿大丈夫か?」
「大丈夫です。役員からもオッケーもらいました」
「そうか…」
不審そうな顔をする部下。気づかないふりをする山脇。イメージが崩れる。まぁ、もともと大したイメージもないか。一人自嘲する。
定時でオフィスを引き上げる山脇。山手線に乗ると男性脱毛の広告が見える。男の脱毛。脱毛か…毛深い男は嫌われるか…自分の裸を想像する山脇。
毛深くはないが、この弛んだ身体ではなぁ…いや、何を想像しているんだ。先走り過ぎだぞ。いかん、こんなことまで気になるようになってしまった。
追い討ちをかけるように、その隣りにあった女性用の脱毛広告に見慣れた顔があった。
「え!」
車内め大きい声をあげてしまい、周りを確認する山脇。
茜が蠱惑的な瞳でその広告塔になっていた。
神よ何のサインだ!
一人赤面する山脇。
いかんいかん、別になんでもないだろ、まだ何もしてないじゃないか。
『来週か再来週の金曜空いてますか?』
山脇はメッセージを作り、送信するか躊躇った。実際誘ったら断られるパターンだよな…。
思い直して携帯をまたポケットにしまう。
くそ、頭から茜の顔が離れない。
この前の一ヶ月前まで何もなかったのに、どんどん茜の顔で頭が占められていく。
いい歳して困ったもんだ…
いや、これもなかなか楽しいか。
気楽に行こうぜ40代。なぁ山脇よう。窓に映る自分の顔に問いかける。
スポン♪
ラインの音が鳴った。
『再来週ならいけるかも』
え、ええ?
あれ、俺間違って送っちゃってた…やばい…あ、でも結果オーライか。
はは…
脚の力が一瞬抜けて吊り革に捕まった。
翻弄されっぱなしじゃないか。
バレバレだなこれじゃ、ほんと情けない。
あまりてなどか
人の恋しき…か。
山脇はひとり苦笑した。
浅茅生の
小野の篠原
しのぶれど
あまりてなどか
人の恋しき
続く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?