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キャベツが高いならレタスを買えばいいじゃない

自炊、錬金術でも何でもない。
会う人会う人に家事問屋の蒸しかごの話をしている。
持ってるフライパンで焼く以外の事もできるこの画期的なアイテムがあるなんて
世界はまだ知らない。と世紀の発見をしたかの口ぶりで話す。


それで返ってくる言葉は「料理するなんて、えらい」。
一人暮らしにイコールではないらしい。
家族がいれば誰かと食べる、食べてもらえる環境があれば料理するのは当然で
一人でわざわざ料理をすることが丁寧な暮らしを想像させるのか、えらいと言われるが
きっと料理とは「レシピ」のあるものを言っている。
私のはただ切って焼いたらそれでいい。必要なのは、素材。調味料。フィーリングだ。
それはまぁ一言で表すとしたら「料理」だ。間違いではない。
料理は錬金術の一種だと言われる、あの「料理」だ。

それをただ18歳から続けてきただけなのだが、ここにきてやっと焼く以外。他の調理器具を使わずして、持ってるものだけで、
新しい「蒸す」ができるようになった。
蒸籠は気になってはいたが、大掛かりなのである。見た目も洗うのもお手入れも。
私的料理の観点からするにそれはもう「錬金術」。
私がしているのは料理であるが錬金術ではない。フライパンに乗せただけ。

蒸しがこんなに楽ならば、もう焼きから成長した蒸しで、蒸しまくっている。
中でも好きなのは、キャベツ。
焼いたキャベツの遥か何倍も旨味も食感も甘さも感じさせるこのキャベツは
蒸される為に開発された野菜、蒸しの申し子。
ひたすらにキャベツを蒸しては、ポン酢、味噌、シラチャーソースで食べる。
1日の終わりにこんな簡単に幸せを味わう事ができるなんて
と思っていたのに。

キャベツ、高すぎる。
なんだあれ、一玉500円。豚肉のが安い。

この幸せって贅沢な事だったんだ。と野菜売り場で何度も目の当たりにする。
今日は頑張ったご褒美にケーキ買っちゃおう、のノリでしか買えないキャベツ。
と散々職場で切ない話をしていたら、一言
「キャベツが高いなら、レタスを買えばいいじゃない。」
もしかしてマリーアントワネットの生まれ変わり?
確かにレタスは安い。でも、キャベツとレタスって味も全然違う、別物。
と子どもの頃を思い出した。
キャベツとレタスの違いがわからなかったのに、いつから分かるようになったんだろう。

18歳の時もわからなかったし、20歳の時もわからなかった
白菜だけが唯一違う。みたいな感覚だった。
そう思うとこれが「違いのわかる大人」になったんだと感慨深くなった。
そうか立派な大人になったんだ、私。
仕方なくレタスを買って蒸してみた。
キャベツがいない今、その穴を埋めることなんて出来やしないのに。

うまい。

レタスめちゃくちゃうまい。蒸してその柔らかさとみずみずしさが増して
蒸すために生まれてきたんだこの野菜、蒸しの申し子。

当分キャベツがなくてもまだまだ幸せを味わう事ができそう、
ありがとう、アントワネットの生まれ変わり。
もしかして昔の私のようにキャベツとレタスの違いがつかないからこそのアドバイスだったかもしれないが、うまいに違いはなかった。

このタイミングで、パンがないならケーキの発言ってなんだっけと思って調べたら
アントワネットの逸話とされるが、
本当は濡れ衣だったらしい。
人から聞いた話を鵜呑みにするのはだめだと
立派な大人になった私は知っている。

ごめんなさい、わざとではありませんのよ。

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