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感覚を研ぎ澄ます

下の子はまもなく2歳になる。コロナ禍に生まれたため、正直連れ出せたところは少ないけど、上の子に比べると毎日一緒に過ごして、変化をつぶさに見ることができた。

最近急に言葉がはっきりしてきて、自分の意志を言葉で示してくれる。おかわり、やだ、(おもちゃを指して)私の!、一緒にいきたい!あんぱんマン!などなど…明確な意思を感じ取れるようになった。春になって温かくなると木々が一気に芽吹くのと同じように、言葉を話せるようになる瞬間は急に訪れる。誰が教えたわけでもないのに。やっぱり人間ってすごい。

一方、今年6歳になる年長さんの長男。子供らしさやかわいさはもちろんあるが、すっかりいろんなことを対等に話せるようになった。意思表示やこだわり、好き嫌いも含めて。なんでそう思うのか、どう感じたのかなど言葉で自分の考えを表現できる。

ゴールデンウィーク、家族でキャンプの予定をたてて楽しみにしていた日の朝、いつも元気な長男の様子がおかしい。体温を測ったら39度近い熱。すぐにキャンセルとなった。

なんでも話せるということに安心して、長男の体調の変化に自分はなぜ気づけなかったのだろうか?子どもは自分自身の体調を認識して自分で調整するのが難しく、遊びたいというその瞬間の気持ちが勝ってしまうことが多い。変化に気づけなかったし、適切に声かけしてあげられなかったことが自分の中に「引っかかり」として残った。
 
言葉によるコミュニケーション。これがあるからこそ私たちは意思を通わせて活動をともにすることができるのだけど、同時に忘れたくないのは、言葉で表現できることにも限りがあるということ。

相手の状況を想像する、共感する、違いの背景を探る…察するとか感じるということはともするとビジネスでは言葉にしろと言われることもあるが、やっぱり言葉にならない、言葉では表現できない人間の感情や気分や存在そのものから発せられるメッセージがあるのだと思う。
 
普段、自分は相手に対して、自分に対して、チームに対して、感じる力や想像する力をどの程度働かせられているだろうか?

日々の忙しさの中で時間に追われ、作業的に、心を動かさずに過ごすことが増えたり、待つこと、許すことができる心のスペースがないと、私たちは人としての根源的な多くのものを失ってしまうのだろう。
 
都会から地元に帰って来たことでこの1年自分の中で鍛えられてきた部分もある。日々の木々の芽吹き、虫や花の変化、日の出・日没の時間や場所が移り行く様など変容し続ける環境の中に身を置くと、自分自身や周囲の変化に対しても敏感になってくる。生命として大事な根源的な部分を感じ取れる力を取り戻してきた(気がしている)。
 
ビジネスは単なる金儲けでもなく、タスクを処理することでもないし、ただ目的やゴールを達成すればよいものでもなく、プロセスそのものにも楽しさがつまっていると思う。組織を構成している私たちひとりひとりがエネルギーを持った生命体であることを考えると、効率や生産性だけではかれない、言葉だけで扱えない、一見無駄だけど大切なことがたくさんあると思う。人が本来持っている感覚を忘れずにいたい。

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