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言葉や映像だけでは伝ええないもの
様々なものがオンライン化した中に感じること。
今までは、師と弟子、仲間同士、あるいは先輩後輩が同じ空間に会して交流し、情報の伝達、あるいは知恵や文化、教養の継承、といったことが行われていた。
果たしてオンライン化は、それにとって代わることができるのか??
オンライン化の波の中でむしろ感じるのは、
人は言葉やしぐさのみならず、その場のリアルな空気、、、あるいはノンバーバルなものといったらよいだろうか、、、を案外『無意識のうちに』読み取りながらコミュニケーションをとっているのではなかろうかということ。
学理講義(陰陽五行の理論)にしても、同じ内容を録画された講義をきくのと、リアルに教わるのでは実は全然違う。
画面越しにはわからない抑揚、間のとり方、しぐさなどから感じることがたくさんあるからだ。
幸いなことに、、、、オンライン化の前から講義に出席し、あるいは日時があえば補講に出向き、あるいは先輩方を困らせる質問ばかりしてきた私だが、、、、そのような蓄積があったからこそ、何が大事で何がそうでないか?の区別がつくようになってきた。
加えて気づいたことは、確かに大事なことは強調しておっしゃっていただけるが、、、、、そうでない、ふいの一言、、、、案外ここにも学びのヒントがつまっているということ。これも、リアルに師や先輩と対峙するからこそキャッチアップできること。
オンライン化は確かに何度も復習できる、どこにいてもみれる、という利点をもたらした。
が、その分捨てざるをえない部分も大きいのかもしれない。
オンライン化前の学びに触れた私だからこそ、そこで得たものを後の方々に少しずつお伝えしていきたいし
またそのような役割なのかもしれない。