共有:自分の気持ちがわからない人向け


自分は何が好きで、何は嫌いで、どうしたいのか。

よーく考えたらわかんないな、っ人いませんか?


わたしは自分がどうしたいのかわかりません。
 
昔は、食べ物から人から色から服装、ありとあらゆるものの好き嫌いがはっきりした子どもでした。面倒くさい子どもでした。
それが今では、色や髪型、アクセサリー、テレビ番組なんかは自分で好き嫌いわかるんですけど、殊他人が関わってくることになると「ほんとはどう思ってるのか」わかってないなと感じることがある。
 
あの人の愚痴たくさん言ってるなーという自覚があるのに、「悪い人じゃないし」という理由で自分から世間話を頻繁に振って良好な関係を築こうとしたり。他人がくれるという物が好きじゃないとわかってるのに、とりあえずとても嬉しそうな顔してもらっておいて食べて、ポジティブな感想まで言ってみたり。人が足りないからと良かれと思ってシフト協力するけど、出勤のたびに「出なきゃよかった仕事したくねぇYESと言った自分ぶん殴りてぇ」と思う。のにまたやっちゃう。

「それってほんとは嫌なんじゃないの?」
 
ってことに日々気づいてはスルーして、自分は判断軸のない人間だと思いたくなくて極力はっきりした物言いを心がけてみたりしちゃったりなんかして。これは自分の本心に嘘ついてんじゃないのってなんとなく思ってはいたんだけど、先日この思いが確信になっちゃったんですよ。
 

それは初めましての人含め友人数名と旅行に行った夜、宿でみんなで話をしていた時のことです。初めましての人も二十年来の友人もわたしのことを「アーティスティック」だと言うのを、「そう言われたくないんだよなー」と漏らした時、そのなかの一人から出た衝撃の質問。
 
 
「そう思われたくないの?じゃあどう思われたら嬉しい?」
 
 
 
え………………………


からの


ガーーーーーン(懐かしき昭和の音色)
 
 
 
そう。
いわゆるアート方面の人とかサブカル系をオシャレだと思ってて、どんなジャンルだろうと創作活動をしている人を尊敬していて、そういう類の人間に見られるなんてわたしは嬉しかったんです。正直ぜんぜん「そう見られるのがイヤ」なんかじゃない。
なのにわたしは常々、思ったり言ったりしてきた。「そんなふうに見られるのはちょっと…」

それなのにわたしは、芸術や手仕事みたいなものが好きなのに、自分は何も作り出していないことが恥ずかしくて
「そんなふうに見られるのはおこがましい」
「何かクリエイトできる人だと思われたらプレッシャーだ」
と考えて、言われて嬉しい言葉を跳ね除けてきたんです。

そんな自覚もどこかで薄々あったんだけど、友人からのキョトンとした顔で言われたその質問に

言われて嬉しい言葉を言われてたんじゃん!
そう見られたいように見られてたんだ!
喜べばよかったんだ!

 
と、そんなことに気づいていなかったことにショックを受けたんですよ。
 
 
わたしは返す言葉が見つからず黙ってしまったのだけど、幸い何人もいたので話はぬるっと別の方向に流れていきました。
  
しかしそれからわたしの中には、その時のショックがずっと残っている。
わたしは、自分がどうしたいのかに全く目を向けようとしてこなかったんだ、と。
普段から、「自分の気分を上げるため、下げるため」に他人が喜んでくれるか・場の空気が悪くならないか・誰もやらないのを放っておけないから、という理由で行動することが多いわたし。それを「自分がやりたいこと」だと思ってやってきたんだけど、よーく考えたら違うなと。
 
本当は、「他人からイヤな顔されてでも自分はこれをやる!」ってことが、「自分の好きなこと・やりたいこと」なんじゃないか、と。

 
 
その日偶然にも、行きの新幹線の中でわたしは自分の本心からの希望を叶えてあげる行為をしていました。

ほんとうに、恥ずかしくなるほど些細なことなんだけど(笑)
その日は、どうせ電車内でしかつけるつもりもないしと前日から持ち越した不織布マスクをつけていました。わたし、繊維が少しでも出てるマスクはすぐに鼻がムズムズするんで、基本的にマスクは一日一枚毎回新しいのを出すんです。だけどコンビニに行くだけにつけただけのマスクや、仕事やしっかり着用してないといけない場でない限りムズムズして外したくなったり少し下げたりしてもいいかなって気持ちの余裕がある時は、「もったいない」から使いまわすこともあります。
その日も、前日少しだけつけたマスクをしてた。だけどしばらくするとムズ…ムズムズ…としてくる。

かゆいな…替えようかな…いやでも降りたら多分外すしもったいないよ………かゆいな…でももったいないしな…洗って使う人もいるんだしあと数時間で着くし……

と悶々としてたんだけど、よく考えてみたら
 
わたしが自分のお金で買ったマスクを一日一枚新しいのに替えてゴミも持ち帰るのに誰に迷惑かける?誰にも迷惑かけないし必要以上の無駄をしてるわけでもない。日々他の面でも環境のことは気にして生活しているし。自分の裁量で決めていいこんなことを、わたしは誰の目を気にして躊躇しているんだ?

というとこに行き着いて、その時は珍しく自分の意思を尊重した気がしていたんです。
そしたら夜にそんなことを突っ込まれて。
 
 
これはもう、「おまえ、生きづらいの、そういうとこやぞ」と天から言われているんでしょうね。
 
ムズムズマスク一つ替えるのに、自分の不快さより環境のことを優先してしまう。言い換えると、その程度の自分の「やりたい」もないがしろにしてしまう。そうやって(いつからか)何年も生きてきたから、今や他人軸がない選択は難しく感じるし、何を選択しても後からしんどさがやってくるし。わたしの毎日のしんどさって、70%くらいこいつが原因じゃないかなって気がします。
 
 
同じように他人軸でしか決められない人。
「わたしが我慢すればいい」「みんなが笑顔になってくれればわたしはこれでいい」と思ってる人。
 
要注意やで!!!!!!!!
 
そんな聖母みたいな人間、そうそうおらんど!
そんなことで自分の価値上がらんからな!
そうやって我慢してても周りはその分他で我慢なんかしてくれないし、わたしみたいに何も決められなくなったらしんどいだけや!!!!
 
 
これは、キツイかもしれないけど強く言いたいことです。
優しくあろうとすることと、他人のために自分の軸を曲げてしまうこととは違います。自分の気持ちを汲んであげられるのはまず自分なのに、自分をないがしろにしているとそのうち限界が来て他人のことも優しい目で見られなくなります。これはわたしの実体験。
 
だからみんな、自分に優しくなろう!
自分のやりたい・やりたくないも決められないなんて自分がかわいそうだよ。(いやほんと、気づいた時は「おまえよくやってたなぁ」と思ったよ涙)
 
わたしもこれからは、きちんと自分と向き合っていろいろ決めていくつもりです。
 
「今、自分が"やったほうがいい"って思ったね?」
「ほんとにやりたいの?」
「やらないと非難されるのがイヤなの?」
「誰かに任せるのが億劫なの?」
「ほんとにやりたい?」
「やった後"やってやったのに"って思わない?」
「ほんとにやる?どうする?」
 
こんな感じでね。

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