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夏目漱石と言語学

「吾輩は猫である。名前はまだない。」
これは夏目漱石の非常に有名な一節ですが、実は彼には小説家以外の側面もあったんです。それが言語学者です。

今回はそんな彼の言語学者としての側面を紹介します。


文部省給費留学生

夏目漱石は1900年から2年間、文部省給費留学生としてイギリスで暮らしています。そこで多くの英国文化に触れたことがのちに彼が書く作品にも大きな影響を与えています。現地で孤独感や言葉の壁に苦しんだことがきっかけで、言葉のみならず、言葉そのものが持つ文化や社会的背景にも興味を持つようになります。

東京帝大の英語学者

彼は東京帝国大学(現 東京大学)の英文科講師として「文学論」「文学評論」「英文学形式論」などの講義を行い、のち書籍化されるほど高い評価を受けていました。また彼は英語的なリズムや文構造を積極的に自身の文学に取り込み、英語学者としては以前の記事で触れた翻訳借用を活発に行いました。身近な例を挙げると「浪漫」は「romantic」や「romance」の概念を日本語に取り入れるために夏目漱石が初めて使用したものと言われています(諸説あり)。

教育への貢献

東京帝大で教鞭をとるだけでなく、のちの教育にも多大な影響を与えました。彼に限ったことではありませんが、明治期には多くの言語学者が翻訳借用を行い、当時の先進国の言葉や概念を日本語に取り込みました。そのおかげで、今我々は日本語で授業を受けれています。

さいごに

今回は文豪として知られる夏目漱石の言語学者としての一面を紹介しました。広い意味では、今この歴史サークルができているのも夏目漱石のおかげかも知れませんね。

また、当サークルの公式HPSNSもありますので、ぜひチェックしてください!新入部員も募集中です!詳細は公式HPから!

今回は以上になります。最後までお読みいただきありがとうございます。






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