読書感想文2 僕たちはどう生きるか 森田真生
おはようございます。今日は、
僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回
の読書感想文を書きます。
著者さんの紹介
学び、教育、研究、遊びを融合する実験の場として京都の「鹿谷庵」を立ち上げ「エコロジカルな転回」以後の言葉と生命の可能性を追求している。
この本を読んでみたいと思った理由
タイトルの「言葉と思考のエコロジカルな転回」が気になったからです。変化の激しい時代をどのように生きるか、どのように考えるかについて参考にできると感じました。
そして「転回」とは?この言葉を選んだのには、どんな意図があったのだろうか?そんなことが気になりました。
エコロジカルは、改めて意味を調べてみます。デジタル大辞泉では・・・
生態上の。生態学的な。また、自然や環境と調和するさま。「エコロジカルな商品」「エコロジカルな素材」
となっていて用例にもある通りこの使われ方がよく見られますね。
これはエコな〇〇と使われるので、今の時代に見ない聞かない日はないです。
読んでみて印象に残った言葉3つから感想を記します。
・エコロジカルな自覚
・引き算の想像力 不在を想う
・強い主体から弱い主体へ
エコロジカルな自覚 について
この本ではもっと深い部分の話としてエコロジカルを使っています。
一番印象的な言葉に「エコロジカルな自覚」とあります。
環境哲学という分野で活躍するティモシー・モートン氏の言葉です。
そんなことは言われれば皆知ってはいるでしょう。僕もそうです。学校教育を受けていれば習うことです。
しかし、常に自覚できているかと問われれば、どうでしょうか?
エコロジカルな自覚をしてきている人が現在は多くなってきています。だから、SDGsやESG投資や環境活動家などが増えているのではないだろうか?
人は周囲の全ての現象によって存在することができます。そしてすべての現象には始まりも終わりも存在せず、全ては流転し続けています。
「自分」というのも、その流転し続ける場(領域)の一つにしかすぎないこと。
それを自覚したら、今という瞬間瞬間が尊いことこの上ないわけですね。
引き算の想像力 について
以前読んだThink Smartにあった特徴肯定性効果(feature-positive effect)というものがあります。心理学の認知バイアスの種類とでもいうのでしょうか。
無いものは有るものより存在の認識が難しい。起きていない問題について考えるのも苦手である。苦手というか・・・見えている問題の方が優先的に認識するからですかね。
有るものは有ると自然に認識するが、有るものがもし無かったらどうだろう?と想像してみること。
上手く言えないですが、これって今の有るものを見つめ直せる想像力を養うのかなと思います。
ただ今有るものを無くさないように執着する方に働いたら違うでしょうから、線引きが難しいなと今思いました。
強い主体から弱い主体へ について
著者さんの言葉です。仏教の本を読んだり、日常生活や業務中(林業)にその通りだと感じます。お釈迦さまは約2600年前から理解していた。自然の中に身を置くと自分と自分以外の境界なんて無いんだと感じさせていただきます。
主観的に物事を見るのでなく、客観的に見てみる。
「自分」という記憶や認知のフィルターを取っ払ってみる。
どうすると良いか、僕のやっていることを紹介します。それは自分が生まれるずっと前のことを想うことや、定期的に自然の中に入って変化を観てみると良いと思っています。なぜなら、想うこと観察することで繋がりを感じるからです。
全てはそうなっているんだという思いを抱き、偶然であり必然なんだと確信的なものが内なる部分から湧いてきます。感謝が湧いてきます。
思考が転回する感覚なのかな?
強い主体とはエゴが強い状態、弱い主体はありのままの状態。「弱い主体へ」を自然体にしたいですね。
さいごに
この本は著者さんのエッセイです。
読んでみると言葉と思考のエコロジカルな転回というタイトルの意味も感じ取れました。
日常の記録も記されており、著者さんが緊急事態宣言下でのステイホーム中の気づきや思考の変容を感じます。
そして、読者側にも同じように思考の変容があるのではないでしょうか?
僕は変容したと思います。
なぜなら、この本を読んで今の世界的な混乱や恐怖や不安が和らぎました。
僕たち人間は大いなる営みの一つであることを感じられて幸せです。
読んでくださりありがとうございました。