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雑記(4月2日〜3日の小旅行に関して)

4月2日、3日と二日間、岩手県内で写真活動をしている太陽くんや、繋げてくれた吉田くん、イラストレーターをされているツトムさん、ゆうとくんに盛岡一関を案内していただいた。

太陽くんのことは以前からSNSを通じて知っていて、偶然共通の知り合いの紹介で、2年越しに会うことができた。先週末に宮古市内を太陽くんに案内したことがきっかけで、とてもいい機会にたくさん恵まれたなと思います。

自分は取り止めもない文章を書いたり、少しの評論を書いたり、作品をみんなで鑑賞する機会を設けるくらいしかできないのだけれど、岩手県内にはとても才能に溢れていて、自然や人間への眼差しが研ぎ澄まされている人が多いのだなと改めて思いました。

同時に自分にできる少ないことや言語化していくことを止めないことで、より良い文化的で真善美を追求するものを作り上げていきたいなと強く思いました。

同年代で、表現をしていたりするのはお金も時間もかかるし、何より苦しいことの連続だ。

その過程を一瞬でも垣間見ることができてとても嬉しかった。田舎には美術館も少ないし、アート関連の仕事も少ない。砂漠の中で、少ない水をわけあったり奪い合ったりしながら、若い植物たちが日々根を固まらない砂の中に必死に伸ばそうとしている。

動かない砂の中や、常に形なく流れ続ける水の中を進むには、人間の手はあまりにも不向きだし不恰好だけれど、自分自身の身体一つでその中を進んでいくしかないんだなと改めて感じました。

下にとても良かった展示の簡単な感想を書いておきます。皆さんもぜひご覧になってはいかがでしょうか。


ー井山桂さんの作品展ー

この二日間の間で盛岡インプレクサスで開催されている、井山桂さん @iyamakei の作品展を見てきました。(あまりにもじっくり見すぎて、撮影可能だったのに写真を撮り忘れました。そのうち購入させていただきたい。)

モチーフをよく観察したり、自然の循環の一部として芸術を捉えていらっしゃるような、そんな印象を持ちました。

作品の最初の印象は、言葉を選ばずに言うなら「暗い」というのが正直な感想ではないかなと思います。

しかしその中には、モチーフに対する素晴らしい不動性と自然の動作性を表現できるような観察眼が表れていて、とても興味深かったです。

淡々としたモチーフの中に置かれた色や粗く粒だった画面には、二律背反な静と動の関係性、「絵画というそこに存在するものの中に、自然や時間といった常に動き続けるものが存在すること」、「肉体を伴わない確かな動きがキャンバスの上に存在している」という興味深い現象が起こっていました。

石や葉を砕き、絵の具の中に岩絵具のように混ぜて表現することを実際に目の当たりにして、自分の中の表現というものがまた広がったような気がしています。

時間の経過によって作品の色味が変わったりするのかなと、作品が生まれた時点からの時間経過もとても楽しみでした。

その時の自分の印象というものは、自然が好きな人間たちと一緒に見に行けたことが大きく働いているのかもしれませんが、また追いかけ続けたい作家さんが増えてとても嬉しくなりました。

てくりに掲載されているエッセイもとても良くて、人としてもっと知ることで作品の中心や意図にもっと迫りたいと思いました。

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