笑ったり お風呂で歌うことずっと 個人の自由でありますように
写真:人間文化課程 タイトル短歌:サンゴネンザ
1.初めに
Twitter上で相聞歌をトーナメントの形で競い合わせるKPタッグトーナメントが開催されている。一回戦に予定されていた試合が、ちょうど終わってこれから2回戦になるようである。
かく言う自分自身も出場したが初心者らしく一回戦負けとなってしまった。
元から勝ち上がる気満々で、相方のサンゴネンザと2回戦用の短歌を準備したり、それらの短歌を作るにあたってショートショートを書いたりしていた。
しかし一回戦負けになってしまってこれらの作品が日の目を見ることがなくなってしまいましたので、適当にnoteにまとめて供養したいと思う。
やっぴー!
2.構想
僕と相方のサンゴネンザ(長いし意味がわからないので以下「ンゴ」)は、共に短歌初心者である。短歌を作って人間を感動させようとかみたいな高尚な精神は持ち合わせていないし、かと言って短歌を作るのが上手いわけでもない。
そこで我々は「技術では他者に勝てないのでお題の奇抜さで勝負しよう」と言うことになった。そうして我々はお題の策定に奔走し始めました。
結果:一回戦負け!
こんな感じで、短歌のお題というよりは大喜利とか漫才のテーマにでもなりそうなものをどんどん出していきました。
結果的に、僕らがやりたいことや、表現できそうなことなど、複数の事柄を加味して、テーマが「食い逃げ」になりました。自分たちがきちんと遂行できるかどうかや、ポリコレ的な面に引っ掛からずにどれだけ、ギリギリのところをつけるか真剣に話し合いました。一回戦負けです。
しかしこの挑戦は言うまでもなく難しかったし、一回戦すら突破しませんでした。短歌とは一朝一夕になるものではないようです。平和と一緒ですね。
3.散文に起こしてみよう
食い逃げの短歌を作ると言っても、実際に体験できるわけではありません。このまま一昔前の芥川賞とかに出したら、「筆者の経験からくる現実性が一ミリも無い」とか石原慎太郎にこき下ろされていたでしょう。そこで、食い逃げを追体験するために複数の散文を起こしていました。
食い逃げをする理由や、食い逃げの際に気をつけるべきこと。食い逃げ脳内シミュレーションの滑稽さや、どういった刑法上の罪に問われるのか。
全てをぐるぐる考えながら、三十一文字の制限のない世界に起こしていきます。
とりあえずこんな感じで、散文を出し続けていきました。
これを三十一文字の中に落とし込みながら、意味はそのままかつ三十一文字以上の情報量をつけていく行為がとても曲者でした。
4.短歌にする
最初はンゴに何首か作ってもらって、どんな空気感になるのかとか、短歌の形式、相聞歌の形式にする意味を探っていきました。僕はとても遅筆なので、ンゴが即興で出してくれる発想力が豊かで、さまざまな場面を想像できる力にはとても助けられました。
しかしこの三つでは、事象を詠んでいるにすぎず、カメラ的な視点もない。
心象風景の全くないスタートになってしまったので、もう少し考えてみます。
食い逃げとその周辺を取り巻く感情をリストアップしてみたり、とりあえず感情的な短歌を何首か作ってみたり。僕とンゴで、2人のパーソナリティや自意識とうまく融合できそうな食い逃げ犯の傀儡を作っていきます。
途中でこんな短歌が出始めたあたりから、なんとなく感覚を掴んでいった感じがしました。
5.最終候補
しばらく作っていくうちに、交互に作っていきながら本歌と返歌の形式をとって、作成していきました。
僕は硬い発想、ンゴは柔軟な発想を持っています。
ンゴの自由な発想を、僕の短歌でいいくらいの高度で飛んでいけるように制御するようなイメージで最終的に4組の相聞歌を作成しました。
短歌をまともに作るのも初めてだし、とりあえずこんなもんかもね!
とか言いながら、1回戦用の選出をしていきます。
今振り返ると結構、置きにいった感じの選出になってしまったので、
「僕たちが透明だったら……」
くらいの攻めた選出でもよかったかなと思っています。
この時は「食い逃げ」をテーマに相聞歌を読むと読者が引いてしまうのではないか?と考えていました。読者の想像に任せる部分が多いと、食い逃げという行為とそれに内包されるネガティブな情報を読み取られてしまって、評価がつきづらい。自分たちの意図している、食い逃げを行為そのものとして競技している人間のコメディーさが伝わらないのではないか。と思って、「バレたなら……」を一回戦に選出することになりました。
夏がきてナイターをやたら見に行きたがる人間と出会えたら、選出をちょっとだけ変えてみるかもしれません。
6.最後に
この記事のタイトルになっている短歌は、ンゴが作りました。
僕らがKPトーナメント用に作ったドキュメントの中にあって、初めてみた時から、どこまでも好きな短歌です。戦争が始まってしまう前に作られたものが、時間を超えて、ふと目に入った時にこんなに強い願いを持つものに変わるんだなと思えました。
短歌は基本的に個人の自由な表現であって、競い合うことが僕自身今回が初めてでした。三十一文字の表現があって、相方のンゴがいて初めて自分の表現だったり短歌の作り方がわかってめちゃ面白かったです。
誰かと一緒に何かを作っていくことに政治も宗教も阪神タイガースも関係なく、みんな誰しもが笑ったり歌ったりできればそれだけで良いと思います。
最後の最後になりますが、とても素敵な機会を提供してくれた、雲海ギャルズのお二方。本当にありがとうございました。
そして誘ってくれて、俺のクソくだらん批評精神に飽きずに付き合ってくれたンゴもありがとう。お前の短歌、サラッと自分のものみたいに無許可で使わせてもらったわ!
KP杯はまだまだ続くので、みんなTwitterをフォローしてみよう!
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