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ヤマバトとカエルの鳴きごえのみがこだまする谷あいの集落でおこりつつある変化のきざし?


はじめに

 ここは中山間地の集落。春休みの早朝、街なかの自宅からしごとで出向いた。ふと車をおりてまわりをふと見わたすと齢をかさねた方々の住まう家屋がぽちぽつ。くしの歯がぬけおちたようなさら地がめだつ。

そこへ家を建て、静けさをもとめてすみかにするわかい方々がちらほらではじめた。この窓辺から見えるだけでこうした家が3軒できさまがわりしつつある。それらの方々は車ですこしはなれた街(つまりわたしが現在住むあたり)まで通勤。

ゆったりした時間のなかで住民が入れかわりはじめた。

きょうはそんな話。

子どもの数は

 この集落の人口はこの20年あまりで1割ほど減った。その状況がつづいている。高齢者の自然減にくわえて、ここでそだったごく少数の若者たちの多くが職をもとめて旅立つ。その状況に変化はない。小中学生の学年ごとの人数は今後も年を追って減るばかり。

もはや廃校・統廃合はこの集落でも避けて通れないだろう。

開発のようす

 このあたりの風景に2,30年のあいださほど変化はない。しいてあげると大きな木が枯れて伐採されたり、住み手がつかないかたむきかけた家屋がいつのまにかさら地になったり。もはやどんな木や建物がそこにあったか思い出せない。

変化のきざし?

 さら地がめだちはじめヒトの気配がますますしなくなった昨年、とつじょ事態が変わり槌音がひびきはじめた。ここ十数年ほとんどなかったこと。この職場(もともとわたしが住んでいた)の周囲のさら地へつぎつぎと3軒の家が建った。

いずれももとの住人の顔があたまにうかぶ土地。そこへ若い方々が家を建て家族を引き連れ訪れた。いずれも小さな子どもたちといっしょに。ちょうどわたしがここに住まうのをやめたのとひきかえ。あきらかにわたしのつぎの世代の方々。

うつりかわる

 それらの家なみをながめつつふと松尾芭蕉の「草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家」の句がうかんだ。勘違いしないでほしいのは、新築のりっぱな家をまえにこの句を思い浮かべたのではない。むしろわたしの職場のもとの家のほう。

かの俳人の詠んだ「家」(庵)はあばら家にすぎない。往時のヒトの気配のあったようすはきのうのことのように思い浮かぶ。話し声がこだまするかのよう。その世もうつり過ぎ、次世代へと移っていく。

おわりに

 おなじ土地にいまやまったくべつの家が建つ。見上げてもそこには過去のそんな声は聞こえてこない。こうして幾人かちいさなこどもたちがまわりに住みはじめたが、そのこどもたちといっしょに学びをつたえるのはもはやわたしではない。

ふたたびかたわらの小川の水音。ヤマバトとカエルの鳴きごえがこだまして聞こえてくる。


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