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宇宙を想うと心おだやかになれる


はじめに

 ねっからの天文少年だった。齢をかさねてもその好みは変わりない。宇宙に興味を持ちつづけることと、心のもちようについて。

きょうはそんな話。


不思議な世界を知る

 天文関係の新聞記事をみつけては切りぬき、スクラップ帳にはりつける少年だった。ともだちと原っぱで三角ベースをやりつつも宇宙を気にする平凡な子。

しいてあげるならば文字をさがして読むほどの本ずき。朝夕にとどけていただく新聞が楽しみだった。アパートのおもたい鉄のとびらの郵便うけにインクの匂いのあたらしい新聞がおりたたまれてさしこまれると、われさきに起きだしてひきぬき、父をとおりこして紙面をひらき記事をさがした。

もちろんすべてに目をとおすわけでなく、4コマ漫画とおもしろいトピック記事、そして科学の話題。とくに宇宙関係の記事ならば、家族が読みおわるのをみとどけると、すかさずきりぬきスクラップに。なかでもカール・セーガン博士の連載記事が印象的だった。

わたしたち人間をふかく知るには、対比のため宇宙探査が必要なこと、そして人間とはなにか、宇宙とはなにかを知るには・・・。とてつもなくふしぎで未知の世界がそこにはひろがっている。想像をかきたてる記事だった。


パイオニア、バイキング

 前後して各無人探査機が火星や木星へたどりつく。それぞれの目的地に近づくのを何か月もさきのカレンダーをめくりながらワクワクするきもち。

バイキング1号と2号による火星探査はなかでも特筆すべきもの。家で手にはいる新聞記事をくまなくあつめていた。

宇宙に興味をもつともだちと陽がかたむくまで話した。子どもたちのあいだでも火星への興味はかなりあったと思う。なにしろテレビや新聞で連日のように報道、こどもむけの雑誌で特集されるほど。世間ではめあたらしい素材だった。

くりかえしの探査でも火星の生命のなぞを解くことはじゅうぶんかなわず、つぎの探査を待たねばならないとの結果に一喜一憂していた。


観測や探査それから

 いまでは火星の生命に関しては「過去の存在」の可能性へ探査の目的がかわりつつあるようだ。それにかわり木星や土星の衛星の詳細な観測から生命の存在が期待されている。

それ以上に想像をふくらませるのが太陽系のそと。空にきらめく恒星のまわりをめぐる惑星の存在が間接的につぎつぎと観測され、いまやその数は数千ともいわれている。なかには地球と類似のハビタブルゾーンの惑星の存在や、種々の恒星の惑星のさまざまなデータをあつめられる時代がおとずれた。


こころのやすらぎ

 わたしたちのからだをかたちづくる元素のもとをたどると、宇宙にちらばる元素にたどりつく。地球上ではそれがくりかえしつかわれる。てもとにある質量の大きな元素などは超新星爆発に由来する。

ひろい意味で生々流転の結果がわたし自身であり、この世のなかそれ自体。たとえば計算上は徳川家康が呼吸した酸素分子を、いまめぐりめぐってわたしが吸っている可能性がある(分子や原子はそれほど小さいし、数が多い)。

わたしたち(地球自体も)は宇宙から生まれ、いずれ宇宙に還っていく。そう思えば生老病死を受けいれやすいとわたし自身は感じている。

広大な宇宙の視点で真摯にみつめれば、地上ではなんと小さなことで争っているのかと思えてしまう。それだけ宇宙はおおらかなきもちにさせてくれる存在だ。

心を安らかにしたいときには、宇宙のことをなんでもいいので頭に思いうかべる。

わたしの心に小さなさざめきがあるとすれば、それは地球以外に生命の存在の一報があるときだろうか。


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