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半額の処分品のコーナーですら高くて買えないときがふえたと感じる
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はじめに
エンゲル係数を上げたくない。そこで買いものにをくふうをする。もちろん以前から記事に書いてきたように処分品コーナーをまっ先に見る。
このところ米ややさいの一部は高騰。処分品をまったく厭わないので積極的に利用させてもらう。半額以下にもかかわらず買えないであきらめる品物がふえてきた。
きょうはそんな話。
歩いていける店
近所のやさいとくだものを売る店をまわる。店々でなにが特徴でどれが入手しやすいかひととおりあたまに入れ、ひと筆書きするようにめぐる。めあてのものが安いと予想する順序と時間帯でめぐる。
ある店は新しい商品が山盛りにならんだ数日のちの午前中のきまった時間にむかう。たいていいくつか処分品になりいつもの専用の棚にならべられる。そこで傷ついたり、傷みがそろそろという品物をさがす。
そうもいかない
いままではこれで廃棄にまわらないで済んだとなかばいい気分で買いものを終える帰り道だったが、このところそんなきもちになりにくい。例年ならば11月末から師走の前半まで、ほんのすこしだけやさいが安くなる時期がある。それがちょうどいまごろのはず。
ところがどうもことしはそうはならない。ざんねんながらやさいたっぷりのなべなどがなかなかできない。だいこんの葉のついている部分を捨てずに一品つくるぐらいだいじにつかう。やさいの皮や芯もおなじ。たまねぎの茶色い皮を数日分ストックしてスープをとろうかと思うほど。
セール品の処分品を
高いままのやさいを横目で見つつ、セールの翌日もしくは2日後をめざす。そこではあてのはずれたセール品の処分がはじまっている。セール品からの値引きなのでたしかに安い。これを目指さざるを得ない。
もはや年末にむけてこうしたセール品の処分品でないと買えないものがふえてきた。処分コーナーすら「高い」と感じる始末。経済圏のちいさな地方でスモールビジネスの新事業をたちあげ、成り立たせるには余分な費用を家計でかけない方法がいちばんと提案するつもり。いまやお金をさほど使わない生活は若い方々にも支持してもらえそう。できればモデルとなりえるようにしたい。方針を変えるわけにはいかない。
おわりに
拡張していくばかりの経済しか方法はないのか。どうもそろそろその限界が見えてきた感じがするし、あいかわらず世界各地で利害は対立。なかなか理想どおりにいかない現実が目のまえに。それならばと縮小しても持続して生活できる経済もあるのではとときおり思う。
なにも片意地はって、わが陣地をふやすばかりが経済なのだろうか。どうもあやしい。それにこの地はもはやさまざまな点で限界のようだし。こんな考えのニンゲンがいてもいいのではとこのところ思う。
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