純品の酵素そのものをとりあつかいこの目で見た経験のある生化学者のひとりとして
(2024.11.1加筆)
はじめに
もはや時代は1分子のタンパク質やひとつの細胞の内外の小器官などの挙動をつぶさに探ろうというところまできた。特殊な顕微鏡、高性能の装置や手法を駆使してなんとか(ごく一部ではあるが)情報を得つつある。そんななかグラム単位もの純品の酵素の固体をこの目で見たことのある「古い世代」のひとりとして経験したことを記しておきたい。
きょうはそんな話。
身近な酵素の例
酵素といえば洗剤の容器のおもて面に「酵素入り」との表示を目にする機会をおもちでは。固体の洗剤ならばその粉末のごく一部が酵素にすぎない。最近は液体の洗剤をよく目にするが、これにも安定な酵素がつかわれている例も。
洗剤の成分としての酵素はおもによごれにはたらく。衣類、コンタクトレンズなどのタンパク質や油などのよごれを分解し、繊維などからはなれやすくするはたらき。
食べ物の製造など
発酵食品の多くは、その製造の過程で酵母などのちからをかりる。こうした生き物に由来する酵素がはたらいてできる。チーズ、みそ、しょうゆ、納豆、ヨーグルト…きりがないほど。酒もおなじ。発酵食品のなかにはたとえばみその一部などでは製造を早める目的で余分に酵素を加えることすらある。
そうしてうまみやそれぞれの食品に特有な性質を示すように出来上がる。酵素抜きにはなしえないといっていい。
酵素の純品
さまざまな研究をすすめるなかで、大量の原料から酵素を精製した経験をもつ。おそらく古典的な手法のみでこれだけの量の酵素の純品を取り扱う研究室はそう多くないはず。遺伝子工学や細胞培養などの手法は用いない。その理由は基礎研究用のみならず、そののちの製造コストやさまざまな食品や医薬品に関する法律をクリアするため。
さまざまな法律上の制約があるので、なるべくそれらを最初から回避したい。最初はどんな酵素を手に入れるにも相応に人力と技術にたよるしかない。そうしてなしえた成果として純品の酵素を5gほど単離精製できた経験がある。
酵素タンパク質としてよくいうところの「電気泳動的に単一な」ほかに余分な夾雑物をふくまない状態までにしたもの。これほどきれいにする理由は学術論文の執筆にむけての研究素材としてつかうため。
同時に世界向けて所望する研究者に供与できるだけの量を確保するため。じつはこうして世のなかに受け入れられ、ここから日本発の市販品となった。ここからごく微量ずつにわけていくのでここで市価がきまった。もとのびん1本分(5g)で7ケタ円の価値に。
そんなに多くはいないはず
これだけ純粋な酵素の粉末(凍結乾燥体)を肉眼で見る機会などそう多くない。ある米国の著名な学者がその瓶のなかみを見て「冗談だろう」となかなか信じてくれなかったほど。
それほど酵素とはからだのなかで微量にしか存在しない「生体触媒」としての役割を担うものとして専門家のあいだで認識されるもの。それだけにこれほどの量の単品は一部の例外を除き、なかなか世界を探してもまれなもの。
それをこんなに集めて研究につかう理由があった。ひとむかしまえまでは分析機器の感度が現在と比較して格段に低かったから。そんな機材で研究をすすめるには対象とする酵素タンパク質の量を確保せねばならず、そこにエネルギーの大部分を費やさねばならなかった。
おわりに
そんな世界でもまれな素材をとりあつかうごくまれな経験をできた。いまでもやろうと思えばできる。おそらくそんな経験をもつ世代は数少なくなったかもしれない。
これだけの量の酵素を精製できるということは、いまの超微量で精製する高価な機器(逆に大量精製には向かないがこちらも扱う)がなくてもそこそこ微量の酵素の多くも手がけられる。大量精製と少量をあつかう技術ならばそんなに変わらない。ある程度までは「大は小を兼ねる」といってよさそう。
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