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結局のところ長い年月のあいだにその時どきでいちばん合う食べものを摂るようになってきたのかも
はじめに
あきらかにこどものころと齢をかさねた今ではさまざまな点で暮らしかたがことなる。とくに食べものに関しては変わったと感じる。好みはあきらかにちがう。わかりやすくいうと従来からこのクニでむかしから食べてきたものへとシフトしている。
きょうははそんな話。
好みは変わる
こどものころはどちらかというとやさいはがまんしてどうにか食べられるものだった。むかしのほうがやさいはいずれも今よりも個性的だった。ピーマンにしろ、ほうれんそうしろいずれも匂いが強く、味もクセがあった。
好ききらいは多い方ではなかったが鶏やさかなを煮たものなどもあまり好まなかった。つまりはおとなが好むものは総じて口にしたいと思わなかったと言っていい。
給食も
はたしてそれで何を食べていたのだろう。いま考えてもそんなに思いつかない。いまのこどもたちが好みそうな食べものをそれほど口にしたいとも思わなかった。食べることにあまり執着するほうでなかったのかもしれない。たしかに学校の給食ですらそんなに好んでたのしみにするこんだてがあるわけでもなかった。
出されたものをもくもくと食べるといった程度。むしろそののちの昼休みで何して遊ぼうかのほうを考えていたといっていい。やはり食にむとんちゃくだったのかもしれない。
年を重ねるにつれて
それがどうしたことか。食べることに興味がわいてきた。いつごろだろう。大学生になりまかない付きの下宿をはなれて食べものをみずから選べるようになると、とたんに変わってきた。毎日おなじものを口にいれるわけではないので、それ相応に選んでいく。まだためしたことのないものもたまには選んでみる。
そのなかからわりとけっこう口にいれるといいものだなと思えるものが2つ3つと出てきた。こどものころはめったに口にしなかったもの。たとえば納豆。うちでは親が好まなかったので食卓にはあがらなかった。
こうしてひとりぐらしで自身をみつめてようやく己というものを知りはじめ、そのなかで食事を自分なりにこんだてを考えるようになり、ようやく品えらびがはじまった。
さらに変わる
だんだん年を経るにつれて好みが変わった。あきらかにむかしならば積極的には摂らなかった皮つきの鶏肉なども料理するようになったし、魚をさばき、あらなどもよくつかうようになった。
後者はここがいちばんおいしいと思えるほど。あまりの変わりよう。好みは変わるものでしかもいずれも安価なものへとシフトした。
高価なものはいずれもなぜそれをヒトビトが買うのかわからないものが多い。むしろむかしから使われた乾物などをおいしいと感じる。比較的安価なのがうれしい。保存も冷蔵庫いらずで気を使わないですむものが多い。
おわりに
年をかさねるとむかしから連綿とうけつがれたものにおちつくものなのかもしれない。このほうが経済的だしなによりおいしく飽きない。くわえて健康上なにも問題ない。なぜすこしはやい段階でそうしようとしなかったのか悔やまれるぐらい。このままながくつづきそうでずっといい。
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