栗の実がついているはずなのに収穫に行かないままに何年も放置している
はじめに
店でここよりも北の地域で収穫された栗の実を目にして、そういえば畑の大きなくりの木々を思い出した。昨今の状況以降でこの地域の畑に出歩いていない。つまり収穫に向かっていない。すでになかば放置状態。
きょうはそんな話。
畑に向かわない
引っ越して以降はこの谷間の集落には週2度だけ両親のようすを伺いつつ、すぐそばのもとの家で学習サポートの教室を開く時間以外に向かわない。すでにくり畑には3年行っていない。歩いて数分なのに足が遠のくと意外とこんなもの。以前にはわたしが1か月暮らせるほど売れた。
べつに避けているわけではない。昨今の状況以降どうにもいかなくなりあっさり農業をやめた。その日から数年間、すべてがとまったままだった。ようやく家まわりの農業に関するものをかたづけ終えたのは昨今の状況から5類感染症になった昨年にすぎない。
この場所は
販売所のバックヤード。早朝から大声がこだましてヒトビトがひっきりなしに出入りする。じつにせまいエリアでものすごい数の物品が行き交う。そればかりでなく収穫物をもちこむ数多くの人々や業者が出入りする。
当時、老いた両親を感染させるわけにはいかないと外出や接触をさけはじめた。はっと気づいたときにはもっともリスクの高い場所にわざわざ出向いて自分自身がキャリアになりかねないと、きっぱりすべてやめた。
行動として
いまだからこそこうして冷静に必要か否かある程度客観的にみれるが当時はそうでもない。相手はよくわからない側面をもつ感染症。案の定、この地域ではかなり早い段階でここで感染者が出た。
この店に出入りすることがどうもリスクが高そうだと気づき、出入りをやめてそんなに間がない頃のこと。それまでほぼ2,3日ごとに出向いていた場所。これだけヒトがにぎわい密集する場所はそんなに周囲にない。それを非難するつもりは毛頭ない。もはや致し方ないこと。こちらが身を引くしかない。
ほかにも
うちで消費できない量のやさいやくだものをつくっても、売り場や搬入してヒトと接触すること自体が無理なころ。それならば自家消費分もふくめて作らないとその日をかぎりにすべてをやめた。
すでに来春用の種子も購入してそろえたばかりだった。もはや自分の家で消費する分すら生協の宅配で注文するほどに。外を出歩くこと自体がどの程度のリスクを負うことなのかすらよくわからない段階。1か月ほど家の玄関から一歩も出なかった時期も。畑はそのまま放置。
その年にやめる直前までは、販売所の売上がもはや本業の学習サポートを上まわるほどになり、第1種兼業農家を名乗れると思った矢先。さあ、これからこの生活を軌道にのせていくぞというタイミング。その日をさかいにあっさりやめた。
それまでの本業(学習サポート)のほうは全面リモートに切り替え、支援金をいただかねば継続がむずかしいほどだったので今こうしてふりかえるとなかなか綱渡りの状況だった。あせらないですごせたのはよかった。わりときもちは平然としていたのは生来のにぶさのおかげかも。
おわりに
こうして今なんとかなっているのはもうひとつのしごとの研究パートへ声をかけていただけたおかげ。ほとんどボランティアにすぎないが、しごとをもてることはやはり大きい。その頃は車で通勤し、ほぼひとりでしごとができヒトとの接触の心配がほぼいらなかった。
こうしてようやく注意しつつ徐々にヒトとコミュニケーションをとれるようになってきた段階で、社会とつながれる場を提供していただけたことはわたしにとって大きなできごとだった。
それ以来、毎年のようにくりの実はだれにも収穫されないままぽとぽと落ちつづけたままのはずだが。
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