見出し画像

じつは日ごろの家事やしごとなどでけっこう運動になっているのでは

みなさまのおかげです ありがとうございます

はじめに

 世のなか、健康増進のため運動せよとの声がさまざまなところから聞こえてくる。たしかにそのとおりなのかもしれない。かといってわたしの生まれながらのズボラな性格と、経済状況はさかだちしても変わらない。だとすればつね日ごろの思考法を変えればどうだろう。

いいわけするつもりはないがうごかなくちゃとやっているのは散歩程度。じつは動かないようでほんとうは「かくれ運動」が日々けっこうあるのではないか。なにも形式ばったことを費用をかけてする必要がどのくらいあるのかとすこしだけ思う。そんなことより動けばすむのだが…。

きょうはそんな話。

研究パートで

 この職場はおなじ建物内だが1階と5階をけっこう行き来する。数えると1日7往復。けっこうハード。いずれも階段を使うとさすがに息があがるし、脈拍はふえる。

おかげで日ごろの運動の過不足が手にとるようにわかる。中・高校生当時は部活で走りながらとか、なかまを背負って何往復か昇り降りしたと思い出す。いまは駆け上がるなどしたらどうなることやら。

やはりひごろよく動いていると階段の昇降ののちの心拍や呼吸の回数がもとにもどるのが早い。その逆もしかり。実験室では動きまわり、腕を高く上げるなどかなりの全身運動で汗ばむ。

学習サポートで

 こちらのしごと(兼業)では日々の掃除だろうか。生徒たちを迎えるまえにやる。掃除機を使うこともあればほうきで外を掃くことも。息は上がらないがけっこう動く。部活当時の無理な運動でひざを傷めたことから曲げ伸ばしはけっこうつらい。カバーするためほかのからだの部分をよけいに使う。

はたしてこうしたうごきはどのくらいの運動になるのか。消費カロリーは微々たるもの、とはいえからだをうごかしたし、清々しくなれる効用もあり、気分的にはプラスの自覚はある。

生徒と相対してサポートするあいだはわたしはじっと腰かけていない。つねに腰をあげてうごいている。自覚しないまま終わるとからだが火照り、結果としてつかれているのでさぞかし無意識でうごいているのだろう。やはり報酬をいただく以上はつかれて当然なのだが。

家事で

 さまざまな家事があるし、うごきもさまざま。風呂掃除などはけっこうからだを大きくうごかすし、毎日おこなうので運動の日課にいれてよさそう。洗たくはベランダに干す際にめったにやらないうでを高く上げるうごきがともなう。これらはすわった状態とは大きく異なりよい運動になりそう。

ふだんの買いもので歩く。3階のわが家まで毎日3~4回の昇降などやはりこれも足腰のためには必要なのかも。3階ならばさほど息はあがらず負担にならない。

昨年の引っ越しは夏場で用心のため2週間ちかくかけた。かなりの回数、荷物を事前に階段を自分で運んだ。これはさすがにいい運動に。これなしでは引っ越し当日の重い家電などはとても3階まで上げることはできなかったと思う(もちろんプロの方の手伝いありだったが)。

おわりに

 日ごろなにげなくくらすあいだにけっこううごいているのかも。これらはいわゆる運動に加算されないものなのか。これらプラスさらに運動せよなのだろうか。余計に動かないとならないものなのか。たしかに日ごろあまり動かさない筋肉や場所はあり、それらを意識してうごかす重要性はありそう。

それにうごかないと筋力は維持できなさそう。多少の負荷をかけることは生きるうえで最低限こなしたほうがよいのはたしかだろう。こうして書き出してみてもやっぱりなにごとも加減とバランスはたいせつそう。

農業をやっていたころは余分に運動しようなどほぼ思うことはなく、これまででもっとも体調はよかった。これとて運動には含めないものだろうか。


こちらの記事もどうぞ


広告


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?