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「なにも知らない」と素直でいるほうが思いのほかものごとへの理解がすすみはじめる
はじめに
小学生のころから本好きなんだと自覚した。小学校の図書室の本を棚ごと読んでいく。もちろん運動場や広場でともだちと三角ベースで遊ぶのがなによりたのしい。あれもやりたいこれもやりたいでけっこう休まる時間がない。何でも知りたいし体験したい、そんな頃だった。
その頃のほうが科学者でもあるいまよりもはるかにスポンジのように何でも知り得たのかも。もっと「少年のまま」でことにあたるほうがいいかなとつねづね思う。
きょうはそんな話。
それこそ何でも
社会見学は刺激的だった。学校でバス遠足で給食で口にするパン工場の見学。遠足で日々つくえをならべる級友たちと向かうのはなにより。たのしくないはずがない。それとともに日々の給食のパンを焼きたてでなくわざわざ1日置き、冷めてからふくろにつめるなんて知らなかった。
小学生のじぶんはなぜ焼きたてを出してくれないのか、おいしいはずなのにといつも疑問に思っていた。ものごとにはちゃんと「わけ」があると知った。
知ること・わかること
こうした社会見学でいろいろな工場やなにかでさまざまなものがつくられるようすを見るのはどれもたのしい。さまざまなものをこれまで見学してきたし、職について以降もいろいろと見せていただいた。たとえば製糖工場などの製造ライン上の問題点をみつけるという作業に加わったことも。
これとてこちらからのアドバイス以上にさまざまな工程をじ~と観察しているとなかなか興味深いし、奥が深いと知れる。さまざまな機器で自動化されつつあるが、まだまだ職人技のくふうのつみかさねの世界だなと知れる。
しくみを知る
ものごとには道理があると、うすうす気づきはじめたのはそれよりのち。むしろずっとあとといっていい。小学生のころはなにもじぶんというものの存在に気づいていないというか意識が向いていなかった。
成績がクラス内でどのくらいかなどまったくむとんちゃく。それが中学生になるとむしろじぶんにばかり目が行きがちに。まわりのヒトとはちがうじぶんの存在を意識するように。
コイツ(じぶんのこと)は勇気がないなとか、もっとがんばれたじゃないかと自分に声をかけたり会話したり。知ろうとすることにわざわざみずからにお伺いを立てたり、気分が落ち込むと鼓舞するようにはたらきかけたり。からだが変化するのにおうじてこころも変化する。それでもときに小学生が顔を出してくる。なんとも中途半端な時期。
知ろうとすること
さすがに高校生ともなるとちがう。進学校だったことからまわりは学業ではおなじレベルばかり。世間はひろくて、自分は一介のニンゲンに過ぎないと思い知らされ、勉強する意味がわからないまま成績はおちていく。
文字どおり写真はウソをつかない。アルバ厶を見返すとこのころがいちばん自信のない顔つき。あまり生気が感じられない。不安で弱気だったのかも。
街で歩くと容赦なくからまれたり、怪しい声をかけられたりがたびたび。隙だらけのところに取り憑いてくる。そんなようすはまわりからみてもそうなんだと思い知る。強くなるには…とよく思っていた。
すなおになる
知ること・まなぶことを生業にできたらと思いはじめる。それには学校の教師や科学者になるのが理想的。そう思えたきっかけはむしろ大学に進んでから。ようやく顔つきももとの中学生のころにもどりつつあった。この大学の環境やまわりのなかまのほうがいごこちがよかった。居所があったといっていい。
そしてまわりのほうがあきらかにおとなだった。ふりかえるとたしかにそうで、同級生たちの多くは浪人して大学に入学したり、病気で1年おくれたり、はては留年したりで年上の方が圧倒的に多かった。それだけでなく精神的にもおとなを感じさせるなかまが多かった。
おわりに
4年生でいっしょに配属した講座でもいちばん年下で、それは修士課程に進んでもそう。いわばさきに「おとなになった」ヒトビトに囲まれ、その点でめぐまれていたといっていい。じぶんがひっぱっていくというよりもついていけばいい感じだった。
そののちようやく自分は自分と思えるようになり肩の力が抜けていく。なにも片意地はらずに、とはいえマイペースでやればいいと思えるようになりこころのなかの波風はようやくおさまった感じ。
運よく「知ること・まなぶこと」をやる職業に就けた。あらたな知見をあたえてくれる自然に対してはいつもすなおなきもちで向かおう、謙虚でいようとこころがけているつもり。とてもソクラテスのように「無知の知」の境地までは達せられないが、それでも自己をあざむかない、取り繕わないでいようと思う。すると自然はむこうから「トントン」と声をかけてくれる。
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