そういえば生まれてこのかたゲーム機を扱えないし、まともなガラスのコップを買ったことがないことに気づいた
はじめに
ズボラな性格。ここに引っ越しして以来、夏になるとなんか不便だなと感じていながらこれまで対処していないことがある。行動に移さないままめんどうだといまに至る。
きょうはそんな話。
根っからの食わず嫌い
こればかりは致し方ない。これだけ歳を重ねるともういいやとあらたにしないで済ましていることがいろいろとある。たとえばゲーム。すでに高校生の頃には喫茶店などにテレビ画面のゲーム機があった。ところが自分でそれに金を払いやってみたことはない。
いつも友人たちのやるようすを脇から眺めるぐらい。あえて金を使ってまでやらなくていいなと思いつつ横目で見ていた。それから数年のちには家庭用のテレビゲーム機が登場したらしい。店でやるものとばかり思っていたが家でもやれるように。
それはちょうどわたしが大学に進んでひとりぐらしをはじめた頃。いちばんつつましい生活をしていたころ。ゲーム機など縁はなく家庭教師さきのこどもたちがもっているのを見たのがはじめて。花札などを扱っていたどちらかというと当時は地味なイメージの(失礼)任天堂がこうしたゲーム機を発売した会社のひとつと知り驚いたぐらい。
パチンコだって
パチンコ屋に出入りできる年齢にもかかわらず近寄りすらしなかった。それはたばこ。けむりが体質に合わないので、もっとも近寄りがたい場所のひとつが当時はそこだった。鼻がつまり息が苦しくなりあたまがボ~としてくる。アレルギーのような症状におちいる。とうぜんのごとくいちばん避けたい場所。したがっていままで一度もやったことがない。
数年前に法律で大きめのパチンコ店の内部が禁煙になったのすらこうして調べないと知らなかったぐらい。それでももはやあえて寄ろうとは思わない。ほかのギャンブルとておなじ。
それから
話は突然変わる。このところ11月というのに日中、すみかは日が照ると32℃をあっさり超える。まったく真夏とおなじで朝に着ていた長袖から着替えてTシャツですごす。
飲みものは真夏の頃と変わらず、冷たいものでかまわない。ふと手もとを見ると、熱いコーヒーを飲むのと兼用の陶器製のマグカップ。やはり気になりガラスのコップがあるといいなと思いつく。
引っ越しの際にじゃまだろうからとそれまでの贈答などでいただいたものはすべて処分した。透明で涼しげなガラス製のものがここにはない。1つぐらいあっていいかもと月に一度ぐらい思う。買いにいこうかとその瞬間あたまをかすめる。コップひとつにわざわざと思い直し、あっという間にほかへと興味が移る。
つまりその場かぎりでその程度の対象でしかない。街にでたついでにーそういえばコップをーと思い出してさがしたが見つけられなかった。意外にも食器のならぶ店にどういうわけかごくふつうのコップは見つけられなかった。それであきらめたまま。
おわりに
いずれにしてもなんとなくあじけない生活を送っているのかもしれない。ほかの方々が楽しんでいることをとやかくいうつもりは毛頭ないし、どんなことをなさろうとそれはそれでかまわない。
しかし自分がやるとなるとどれもおっくうだし、ほんとうに興味の範疇の外にあるものなんだろうと思う。いま記していてほかにもありそうと思うが、それを思い浮かべることすら面倒。もういいや。
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