このごろが最盛期なのにほんのすこしでいちばん日持ちしなくなる作物
はじめに
スーパーではひとかたまりで買うことはしなくなった。手にとる半分にカットしたものすらミニサイズ。本来のこの作物の実はもっと大きい。ふつうにつくると今が旬。
きょうはそんな話。
よく手にとる
ことしはどういうわけかよく目にするし手にとる。出来がよいのかもしれない。すでに旬をむかえている。もちろんこのクニは細長いので産地ごとにその時季は多少ことなるが。
それはかぼちゃ。ほんとうは実をひとつかかえて買いたいところだが、なかなかそうはいかない。台所にころがしているとこのところの暑さであっという間に熟してしまい、すぐに食べないといけなくなる。お盆すぎにはとたんに日持ちしなくなる。やむなく少量を冷蔵庫の野菜室へ。
やっかいなことにその熟すスピードは日ごとに早くなる。畑での熟しぐあいの見極めは実とつるのつながる部分。つまりへたに近い部分に縦方向にかたいかわいたすじが入り、それがよこにも広がる頃。毎日見ているとすぐに判断できるようになる。
畑で見わける
こうしたやさいやくだものの熟れぐあいの見極めは作物ごとにある。収穫はタイミングがいずれもたいせつだけど、この時期にいちばん注意するのはオクラ。畑のオクラは半日前よりもあきらかに大きくなっている。つまり収穫のタイミングを逸すると大きくかたくなり商品にならない。どちらかというと小さめのほうが好まれるし収穫もしやすい。
オクラの場合には多少収穫がうしろにずれて大きめになってもやわらかい丸オクラの方をよくつくっていた。ズボラなわたしと相性がよかった。
かぼちゃのようす
そんな夏のはたけ。毎年よくつくっていたのはやはりかぼちゃ。おいしかった完熟のかぼちゃの種子をわすれずに洗い、すぐに干して翌年用にしていた。こうしてこの畑と気候に慣れたかぼちゃとしてきた。
そのかわりまわりでさまざまなかぼちゃがつくられるせいか、かけ合わされてかたちはさまざま。それでもわが家でつかうにはまったくさしつかえない。むしろさまざまなかたちがあらわれるようすはほほえましいほど。
この作物はそれだけ個性的。葉やつるが威勢よく伸びて、ことしは収穫がよさそうと予想すると、とたんに梅雨明けの頃にうどんこ病にやられて葉を失い、実はふくらみかけで熟すのをやめてしまうという年もあれば、西洋かぼちゃに日本かぼちゃの性質が偶然かけ合わされ、まったくうどんこ病にかからずに予想外に豊作だったり。このへんがなかなかつくっていておもしろい。
おわりに
いまやつくらなくなってスーパーでほんのちいさなサイズのものをしかも断片で買うぐらい。それでもさすがに店にならぶ商品にははずれがほとんどない。わたしはもともとかぼちゃに甘さをもとめない。むしろ安定してつくれるほうを選びがちだった結果、そうかんじるようになったのかも。
つまりかぼちゃについてはどれでも選び放題。こうしてやさいを買う立場になり、店にならぶ「商品」のすばらしさにはあたまが下がる。生産者のご苦労のようすがよくわかるから。
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